ラブプラスについて僕が話そう

ネット上でラブプラスを指して言われる「現実を超えた」だの「ハマると戻って来れない」だのといった過激な賞賛の言葉を見ていると、本名プレイで真正面から楽しんでいる俺ですら少したじろぐところはあるよな。リアル不要みたいな事を言うのはもうちょっと待ったほうがいいぜっつうさ。というのも、これ、ゲームとしての飽きが来るのは壮絶に速いと思うんだよな。飽きと言うかスキンシップ→キスって、要するに決められた数箇所のポイントをタッチしたり撫でたりするだけのもんなので、精神的な高揚を抜きにして語ると作業感に満ち溢れすぎなんだよねえ。今のところは凛子のツラをDS付属の棒でなぞってるだけでハッピーな気持ちになれるけど、一ヵ月後とかどうなってるかわからんよなー。プレイヤーの情熱を持続させるために、キスは週末だけとかにしておいた方が良かったんじゃないかっつう気がしないでもない。いや、どうだろうなー。どこでもイチャイチャできるのがウリのゲームだしなー。
時限イベントは2年先まで存在するらしいけど、そこまで遊ぶのに必要なのは情熱と惰性よね。アマゾンのレビューで見た「凛子のために少しでも外見を向上させようと、食事を減らしてダイエットを始めました。生まれて初めてファッション雑誌というものを買いました」みたいなのはスゲー良いと思う。別に「何かのために努力する人は素晴らしい」みたいな話じゃなくて、情熱を持続させる手段としてこれは有効だよなという事ね。情熱を持続させるだけの強度をゲームに求めるのではなく、虚構を情熱で補強することで楽しむという。このゲームの特徴は進行がリアルタイムということなので、それを活かした遊び方だと思う。逆にいえば、そこには我に返る時間がふんだんに用意されてるということでもあるわけだからな。食事前だというのにファーストファーストフードに4回連続で呼び出されても嫌な顔一つせずやってきてムシャムシャやってる凛子を見てると「ハッ……!よく考えたら、この子は機械だ!」って思っちゃうわけじゃん。凛子の呼び名を変更するイベントで『今日からコイツを機械と呼ぼう』って選択肢を選んじゃうわけじゃん。DSってことを考えると反応のバリエーションも限られてるわけだし、飽きとの戦いだよなあ(リアルといえばリアルだ)。まあ、その戦いに敗れても問題はないんだけどな。別のゲームやればいいんだし。それは悲しい気がするんだけど、多くの人間は2年もこのゲームで遊ばないだろうし、そうでなくても2年後にはモチベーションの大きな低下があるだろうし、更にそれを乗り越えたとしても修理の受付が終了したあとにDSが壊れたら…いやいや、そこまでプレイし続ける人は流石にいないと思うんだけど、「確実な別れが存在する」というのを頭の隅で自覚しちゃうと寂しくなる。下手にリアルタイムである分、挿されることがなくなったROMの中で膝を抱えているヒロインの姿を想像してしまうし、いつかは俺も彼女をそういう目にあわせるのだなーという寂しさがある。
まあ、それは「人はいつか死ぬから何をやっても意味がない」などと言いだすような話かもしれないので、なるべく考えないようにしよう。目下の悩みはアレだ。凛子がこちらの好みの服装を聞いてくる場面での対応に失敗したので、まるで格闘ゲームにおいて小Kあたりでキャラを決定した時に見られるような、変なくすんだ色のワンピースを着てくるようになったことだ。まあ、逆に「この服をなんとかしなければ!」という感じでプレイに対するモチベーションは上がってきた。当分は「洋楽最高!邦楽はクズ」とか「世界の人間は私の敵」とか「自分を動物に例えると猫」とか、リアルタイムで黒歴史ノート更新中みたいな台詞を吐く凛子を優しい気持ちで見守っていこうと思う。

twitterにだるいとpostする

出先から携帯でtwitterを見ている時、体にだるさを感じたので「だるい」とpostしようとして思いとどまった。それはネットを通じて発信すべきことなのかと。じゃあ、普段書いてる事には発信する価値があるのかという話はさておき、「現時点で俺はだるい」という事実をネットで発信する必要があるのかというと、まあ無いんじゃねえかな。ただ溢れてくるだるさが俺の腕を突き動かし、自動的に「だ」という文字を入力させる。ハッとしてclearキーで削除するものの、気がつくと手は勝手に「だ」と入力している。そんな事が数回にわたって無意識に繰り返されていた。「だ」「だ」「だ」「だ」……。これは俺の思考が電脳空間とリンクし始めたという超未来体験なのか、それともアウトプットが変わってるだけで何の進化もしてないのか。普段から「疲れた」と思わず口にしてしまう悪癖があるので、その手の発言を意識的に我慢してきた結果として、意識が漏れ始めてるのかも知れないと思った。
この漏れ始めてる感がまずいんだよな。twitterは無価値な情報の集合が面白さを作っている部分もあると思うので、単独で価値の無いような発言をすることが悪いとは思わない。俺もそのような面白さを構成する歯車となるべく、意図的にそのようなpostを行う事はある(「今、パンを食べています」とか「死にたいです」とか)。そこら辺がコントロールできてる、ないし、できてると思い込めてる内は問題ないんだが、思考がシームレスに漏れ続けてる感じはいかんなあと。
まあ、いかんと言ったものの別にどうでもいいじゃないかという気持ちもある。ただ俺個人の問題としては、その手の発言は我慢した方がいい気がする。俺は低い方に低い方に流れるタイプなので、放っておくと大変なことになりかねん。「だるい」という一言であれ覚悟をもって発言しなきゃならない……いや、そこは「言わない方がいい」だろう……などと思いながら歩いていたら、酔っ払いの女性がトーロイドみたいな軌道で俺に突進したのでビックリした。ビックリして即twitterに書き込もうとして思いとどまった。でも別にこれは書いても良かったよな。でも書かなかった。今書いた。

ダイドーの自販機のスロットが

ダイドーの自販機に、4桁のスロットが揃うとジュース一本当たりみたいなシステムを導入しているものがあるんだけど、ある場所に設置されている自販機は左から3桁までは確実に揃う設定になっており、別の場所にある自販機は2桁目からハズレになる可能性がある。これはどういう事かと少し気になったので色々考えてみた。
考えているうちに、前者のような挙動をする2台は人通りの少ない所にあり、後者は人通りの多い所にあると気付いた。つまり前者は購入者の期待感を煽ることを優先し、後者は即座に客を立ち去らせることで回転率を高めているというわけだ。完全に見切った……と言ったものの、たったこれだけでは何の証明にもなってない。基盤のバージョンが違うとか、オーナーの好みとか、ただなんとなくとかいった話かもしれん。
確信を持って、この話をできるようになるには何箇所ぐらい自販機をまわって何本ぐらいジュースを買わなきゃならないのかなあと考え始めたが、すぐにどうでもよくなって考えるのを止めた。どっちにしろ今日もスロットが揃わないという事実は変わらんのだ。

どうしようもない僕にラブプラスが降りてきた

ギャルゲー等のヒロインに『趣味:格闘ゲーム』という属性を付加することによって「キモオタのあなたにもヒロインとの接点ができましたよー?」みたいなアレに憤りを覚えている俺なので、ラブプラスにも格ゲー大好きっ娘がいると聞き怒り爆発。「絶対に許しておけぬ。その正体、この目で見極めてくれるわ」と、発売日前日の夜だというのに家を飛び出す俺。ゲームショップの店員に「すいません。ラブプラスってまだ売ってませんか?」と聞く俺。「深夜0時からの販売になりますよ」と聞き、近くの公園のベンチに腰掛けて時間をつぶす俺。夜の公園のベンチで背中を丸めた中年男性がギャルゲーの発売を待つ……こんな不幸な光景はそうそう見られるもんではない。俺の近くに座ってたカップルは珍しいもの見れて幸せだったよなと思う。
事前情報を入れたくないので説明書すら読まずに電源を入れたが、とりあえず格闘ゲーム大好きっ娘が誰であるかだけは確認せねばならぬ。調べてみると、数年前にトラブルから拳闘界を追われた丹下のおっつあんこと丹下桜が演じているらしい。泪橋を逆に渡ってきた、嬢の復帰作というわけか。こいつは面白くなってきたぜ。
……で、現時点までの感想を書きたいのだが、特に書くことがない。というか発売後、数日しか経っていないので、誰であってもリアルタイムモードの評価をすることができないんだよな。現時点で言えるのは皆口裕子が恋愛について語りだすと空気が完全に『ねるとん紅鯨団』になってしまうという事と、丹下の格ゲー大好き設定って別にいらなかったんじゃないかなという二点ぐらい。それにしても、DSって継続してプレイする必要があるゲームが多いのに、スロットが一つしかないのが辛いよなあ。ラブプラスを取るかドラクエを取るかという二択を強いられるのが厳しい。ラブプラスにもすれちがい通信機能がついてたならドラクエを諦めることも可能なのに……。

せっかく俺がかっこよかったのに

ほろ酔いで夜道を歩いておったら、前方から駆けて来た青年が道に転がっていた石を蹴り飛ばしてしまったようだ。その石は不運にも俺の顔めがけて一直線に飛んできた。実に不幸な出来事なのだが、どういうわけか反射神経が人より劣る上に酔っ払いである俺の手が自然に動き、顔面に被弾する直前の石をパッと受け止めた。青年は自分の仕出かした事に驚き、更に俺の超かっこいい動きに驚いたため一瞬行動が遅れたようだったが、すぐに俺のそばに寄ってきて「申し訳ありません」と何度も頭を下げた。わざとやった事でもないので俺は「大丈夫。でも、気をつけるんだよ」と言って青年を許し、再び歩き始めた。
とぼとぼと歩いていると、ふいに「酒に酔っていたので一時間ぐらい気付かなかったが、さきほどの俺はメチャメチャかっこよかったのではないか」という気がしてきた。あの青年は俺を何かの達人だと思ったかもしれない。何の達人かは知らないが、何かの。
高揚感が頂点に達した俺だったが、惨めな俺がこんなにかっこいい瞬間なんて滅多にないのに、それを誰も見ていないという悲しさに気付くまでに時間はかからなかった。憂鬱な気持ちになった。酔いも醒めてきた。
普段の俺がどれぐらい惨めかというと、世間並みの暮らしを現行のゲームハードに例えるなら、俺の過ごす日々はSEGASG-1000レベルであり、ゲーム中に流れるBGMは無音であり、当たり判定は見た目の5倍であり、効果音は自分の行動とズレた所で鳴り、背景と障害物の見分けがつかず、押したキーは2秒遅れでしか反応せず、敵に対する攻撃手段はおろか回避手段も用意されていない癖に、タイムオーバーで死ぬまでの時間はふんだんに残されているといった具合。
そんな俺が目映いばかりの輝きを見せたのに……。畜生……。それにしてもかっこよかったな俺。さっきの青年が俺のかっこよさを他人に話しまくってくれれば良いのだが。なあ、そこのあんたも聞いておくれよ。俺、かっこよかったんだよ?飛んできた石をさあ、へへへ……パッとね。へへへ……。

BLEACH世界の正義って何なの

俺はわりと久保帯人先生とBLEACHの事が嫌いじゃないので、ネットでよく見かける久保先生に対する心無い罵倒を見ると少しだけ悲しい気持ちになるのだが、実際の話、最近のBLEACHが面白いかと聞かれると完全無表情にならざるを得ないというのが正直な所なんだよな。久保先生は1年ぐらい休ませた方がいいと思うし、休ませさえすれば面白いものを描くに違いないぜというのが個人的な意見なのだが、現時点でも充分にジャンプの看板を張る事ができている久保先生を休ませる理由は全くないんだよね……。
今のBLEACHの何が良くないのかというと、あの世界における正義がわからんのですよ。……というと「オシャレである事が正義なんだろ?」という揶揄が飛んできそうだけど、昔のBLEACHは作者が描きたい正義がちゃんと存在したと思うんよね。それを仕事に追われるうちに見失ってしまっているんじゃないか。少年漫画で作品の根底に流れる正義が曖昧だと色々不都合があるんだよな。例えばジョジョやらスラムダンクで名台詞とされてるものって、冷静にそれだけを抜き出してみると大したことは言ってないわけじゃないの。「あきらめたらそこで試合終了」って当たり前だろっつう。ジョジョだって運命だの覚悟だの、インターネットユーザーが嬉々として中二病と囃したてるようなフレーズ満載なわけじゃないの。ところがそれが馬鹿にされるどころか多くのファンの心をガッチリ掴むのは、そこにキャラクターが、作者が、伝えんとする正義が滲み出ているからだと思うのですよ。
俺が「あっ久保先生やばい!」って思ったのは、弓親というキャラが自分の美意識を守るために真の力を隠したまま戦うシーン。敵は、美意識のためなら力を発揮せぬまま死んでもかまわないという弓親の態度を褒め称えるんだけど、この直後のエピソードで登場する一角というキャラが己の信念を守るために真の力を隠したまま戦うという、先のエピソードと全く同じ行動をとると……何故かコイツは仲間に叱られるんだよね。どうなってるんだ、これ。世界の命運や仲間の命がかかってる所で自分の美意識を優先するという共感しづらいストーリーはともかく、この統一性のなさはどうなのよと。これが「人によって尊いと感じるものは違う」って話ならまだいいんだけど、別にそんな話でもないんだよなあ。J-POPの歌詞に、瞬間的にかっこいいフレーズを並べただけで全体としては意味不明なヤツとかあるけど、完全にああいう感じ。
その後、更に「久保先生、完全にやばい!」と思ったのは、謎の覚醒状態でウルキオラに勝ってしまった一護が、フェアじゃないという理由で「俺の左腕と左足を斬れ」と言い出すシーン。世界の命運はもちろん、ヒロインの命もかかってるのに何故そんなよくわからないスポーツマンシップを発揮するのか。左腕と左足を斬りおとすのって大変なことじゃん。いや、俺らの世界の常識でも大変な事だけど、わりと簡単に人体破壊が行われる少年漫画世界においても大変なことですよ。それを自ら要求する理由がフェアプレイ精神ってのはまずいだろうと。これを見て、この世界の正義が何なのかさっぱりわからなくなったんだよな。更にこの号の巻末に久保先生からの「感想を聞かせてください」という自信たっぷりのコメントがあったというんだから困惑せざるを得ない。
あと、あれだ。BLEACH屈指のおもしろ台詞として「チョコラテは此処に置いていけ」ってのがあるんだけど……一応説明しておくと「戦いにおける甘さを捨てろ」を久保先生なりにかっこよく言った台詞ね。このセンスの是非はおいておくとして、これを言われた主人公である一護は『実際に甘さを捨てる』もしくは『甘さを捨てぬまま戦い抜く心の強さを見せる』のどちらかの答えを提示しなきゃならんと思うのだが、あれから3年間、とくに何の答えもないまま。なんだったんだ、あの台詞は。
以上のエピソードを見て思うのは、久保先生は瞬間的なかっこよさを考えるので精一杯だというぐらい大変なんだろうなーということ。そして、その瞬間的なかっこよさを根底で繋ぐものがないので、物語から散漫な印象を受けてしまうということ。……やっぱり休んだ方がいいんじゃないのかなー。薄っぺらいという意味でポエムよばわりされることがある久保先生の台詞回しだけど、ポエムに魂がこもってたら、それは強い光を放つと思うんだよね。やっぱり、ゆっくり休んで魂を充電するべきじゃないのかって話になっちゃうなあ。
そんで、休んでる間に是非やって欲しいのがブログね。まあ、久保先生×インターネットというと、あの悲しい事件を思いだしてしまうかもしれんが、この際だからアレは忘れよう。半永久的にログが残るインターネットだからこそ、スカッと忘れることも必要だと思うんだよね。見たいじゃん、久保帯人ブログ。「最近こんな音楽を聴いています」とか「こんなオシャレな家具を買いました」とか「今日の夕食はお寿司でーす」とか。聞くところによると久保先生もドラクエやってるらしいじゃないの。主人公は色黒モヒカンで名前は『ギロチン』だとか。久保先生のドラクエプレイ日記とか超見たいんだけど。装備の組み合わせとかメチャメチャこだわりそうじゃん。
今の久保先生に必要なのは、あえてチョコラテをガンガン飲みまくることだと思った。長期休暇は現実的に考えて無理だとしても、ちょっとチョコラテ飲むぐらいの休みは与えるべきじゃないのかなー。

他に名付けようがないし

秋葉原ヨドバシの前に設置されたドラゴンクエストすれちがい通信用スペースである『ルイーダの酒場』だが、このネーミングに関して俺が思うのは「でもこれ…酒場じゃなくて道路じゃないですか…」ということだ。いやいや、ヨドバシAkibaの計らいは粋だと思うし、こういう形で能動的にドラクエというイベントを楽しもうとするプレイヤーの姿勢も良いものだと思っている。しかし、やっぱ…道路が酒場を名乗るのは壮絶ずうずうしいっつうか、炎天下の路上で「酒場だ酒場だ」と群れ集う一団は狐に化かされているとしか思えないっつうか……。
だが、「じゃあ、おまえだったら、このスペースになんて名前を付けるの?」って聞かれると困る。少し悩んだ俺は、やがて観念したように「ルイーダの……酒場……かなあ?」と答えるに違いない。だってベストな答えなんだもの。ドラクエプレイヤーが集まる場所だということを簡潔に表現しつつ、ムードを壊さない。これが『ドラゴンクエストすれちがい通信用スペース』みたいな、正確であるが間延びした名前であったとすれば、これほどインターネット等で話題になることはなかっただろうし、逆にドラクエ用語を使いながらも捻りすぎたネーミングだったとしても上手くいかなかったのではないかと思う。そんな圧倒的な正解の前には道路を酒場と呼ぶことなど取るに足りないことだ。しかし俺としては、どうしてもしっくりこないのだ、道路を酒場と呼ぶことが。なあ、だって道路だぜ?
話は変わって宮村優子についてだ。そうだ、パチンコ屋の営業を生業とする彼女の事だ。もはや都内のパチンコ屋で宮村優子が来なかった店はないどころか、同時刻に複数店舗で宮村優子の来店が確認された例もあるというぐらい大忙しの彼女。その来店を告知するためのポスターに書かれたキャッチコピーが判を押したように「アスカ 来店」なのが気になる。同系列店舗だというわけでもないのに、どのポスターもどのポスターも「アスカ 来店」だ。もうちょっと他店との差別化を図るような努力を見せたらどうだね?と思いはすれど、「じゃあ、おまえだったら何てコピーを添えるんだね」と聞かれれば、やはり少し迷った末に「アスカ 来店……かなあ」と申し訳なさそうに答えるに違いない。
凡庸なネーミングは必ずしも失敗ではない。誰でも思いつくってことは、誰の心にも潜んでいるフレーズってことだからね。つまり、その名前を見た瞬間に名付け親の意図がすんなり理解できるって事だ。……まあ、あれは道路なんだが。製品名、バンド名、ブログのタイトルなど、ネーミングというのは我々の頭を悩ますものだ。こういう時はオリジナリティをアピールすべく突飛な名前を考えてしまいがちだが、あえて誰でも考え付くような発想に立ち返ってみるというのも良いかもしれない。……まあ、あれは道路なんだが。