モンキーマジック

昨日ドラマの西遊記を見た。想像以上にしょんぼりだった。例えるなら「ちょっとぐらいマズい料理が来ても我慢して食おう」と思ってたところにやってきたのは何も乗ってない皿っつう感じ。よく、質の悪い芝居をさして"学芸会"なんて言うことがあるが、実際はプロの役者とスタッフを使っているのだから、なかなか本当に学芸会っぽいものに巡り会えることは少ない。しかし香取西遊記はばっちり学芸会だった。こんな学芸会を見たのはドラマ版富豪刑事の最終回以来。あれ?わりと最近?
しかしなー。仕方ないっちゃ仕方ない。
西遊記の魅力は淡々と不思議な物語が続くことだと思うんだけど、そこは主人公が棒持った暴れん坊なので、映像化するとどどうしても大活劇っぽくしたくなっちゃう。そうすると大活劇成分でIQ低げになったストーリーを補おうとして感動要素を盛りこもうとしてしまう。結果的に追いやられるのは不思議成分。これでは面白くなろうはずもない。
堺正章西遊記が面白かったのって、ちゃんと怖かったからだろうなあ。あと、ユーモラスであるにもかかわらず、どこか寂しげで乾いた雰囲気。そうだ、主題歌のエキゾチック感に助けられたところも大きいだろう。
最近の西遊記ものではパタリロ西遊記がかなりよい雰囲気かもしれん。まだ3巻ぐらいまでしか読んでないけど。
パタリロ本編が後期はかなりグダグダだったので期待してなかったのだけど、地味に流れていく話が実にそれっぽかった。
あー。そうそう。香取西遊記のしょんぼりポイントとして最初から3人が揃ってるってのもあるよな。これも限られた期間の物語である都合上しょうがないんだろうが。
俺が大好きな沙悟浄のエピソードなんだが、

首に掛けていた九つの髑髏はすべて三蔵法師の前世の髑髏。すなわち三蔵は下界に転生させられてからこれまで九回も西天取経を志し,かついつも流沙河で立ち往生したあげく沙悟浄に取って喰われていたわけである。ちなみに三蔵はこの十回生まれ変わる間一度も精を漏らしたことがない聖僧ということから,妖怪達の間では三蔵法師を喰えば不老長生を得られるとされていた。それでいっそう三蔵一行は妖怪達に狙わることになるわけであるが,十回目のチャレンジでは悟空以下の協力メンバーに加え宿敵・沙悟浄まで部下にし,ついに三蔵は取経に成功したのである。
ウィキペディア 沙悟浄

これをやって欲しいんだよなあ。


上のエピソード読んでふと思ったんだけど、主人公サイドにだけ無限のやり直しが許されている世界ってまるでコンピューターRPGみたいだよな。400年前の中国にもゲーム脳は存在した!うちの息子が三蔵が動かなくなったので乾電池をとりかえようと言いだした!西遊記に影響されて棒で人を殴ってまわる少年犯罪が急増!胡蝶の夢バーチャルリアリティ!中国が危ない!数百年前の!