諦めゲー

ゲームは始めた時点で勝利の可能性を約束されている。プレイヤーの腕と持てる時間を考慮せずに、単純に自分の操作するキャラクターがラストシーンまで到達することが可能かどうかという一点について考えた場合、答えは絶対に"可"じゃないとマズい。まあ、レールチェイスみたいな例外もあるけど。
プレイヤーキャラの跳躍力にあわせて大地の亀裂は設定されてなくてはならないし、弾幕には隙間がなくてはならないし、恋愛は成功が約束されてなければならない。
これが現実だと乗り越えることが不可能な障害が発生する事はままあるもので、その時、我々がしなくてはならないのは諦めるという事だ。ここでリセットしてやりなおすことができてしまうというのが一部世間で叩かれるところの"ゲーム感覚"であろうか。
じゃあなんだ。諦めゲーというのはどうか。絶対に無理なポイントを見極めて、プレイを投げ出すゲーム。投げだしポイントを見極めて投げ出すとファンファーレが…などと思ったが、それでは総当たりで投げ出しポイントを見極める事が可能になってしまうので、得になんの演出も用意しない方が良いだろうな。ただなんとなく投げ出して「もしかして、あのゲームってちゃんとクリアできたのかもしれないなー」とか思うゲーム。10年後ぐらいに実際にクリアできるという事実を他人から聞かされて、自分の根性のなさを嘆くゲーム。もはやゲームというより体験ですね。体験に金を払うわけだから普通のゲームより少し値段は高くなっています。むしろゲームというよりアートです。購入しない人はゲーマーを名乗る資格がないかもしれません。


そんなわけで、君は2万円も払って諦めゲーを購入しCD-ROMをセットして電源をいれるのだが、モニターは黒いままでスピーカーからは何の音も聞こえない。インターネットで情報を集めてみると、他の購入者も同じような状況らしい。
君はゲームショップに入っていく自分の姿を思い出しながら「あそこが投げだしポイントだったのか」と気付くわけだ。