時をかける少女試写会(not感想文)

自分から「行きたいから連れてってー」と言っておきながら、当日になって猛然と気乗りしなくなった。
というのも、この映画が「ちょっとした非日常体験を通じて私は少しだけ成長した」という話におさまることはどれほど勘の鈍い人間にも想像できることで、そんな感じの青春ドラマだと予想がついてるなら観る必要ないんじゃないのかという気持ちになってきてなあ。何が問題かというと予想の範囲を出なかった場合、「やっぱり」という気持ちが先だってネガティブな感想を抱きそうということ。おそらく作品としては優れたものであろうから、そういうものにネガティブな感情を抱くのは個人的になんか辛い。良い人を憎まなくてはならないみたいな。いや、憎みゃしないけど。実際の話、あらすじをひとことで言うと「なにもおこらなかったけど やる気は出た!」なので未来予想大成功。一足早く俺が時をかけてた。
まあでも、大枠が想像できてたからってなんなのって話なんだよな。今回の主人公である紺野真琴はラベンダーよりもヒマワリの匂いがしそうな快活な少女なんだが、まあ相手が「時」では、なんとか善戦以上のことは期待できないわけで、どう考えても勝利はありえない。とりあえず派手に殴り合ってみせて「紺野もようがんばった」的な見せ場を作ることができれば、時の奴も紺野の頭をクシャッと撫でて胸ポケットにクルッと丸めた千円札の1枚も入れてくれるだろう。それからすると紺野、すごい頑張った。つうか基本的にずーっと頑張ってる。予告ムービーの段階では紺野の声については「快活すぎるイメージにブレーキをかけるために素朴な感じの声の娘をキャスティングしてんのかなー」ぐらいの印象だったんだけど、要所要所で優等生演技を避ける感じが好印象の良い主人公っぷりであったよ。笑う演技とかに少々厳しいもんがあったけど、まあそれを差し引いても大健闘。
しかしなー。作中におけるタイムリープ能力が才能だとか特殊能力ではなくズルだとか不正行為として扱われてるあたりでもう紺野に残された道は精神的成長だけっぽい感じが強まりだして、あとはそれをどういう形で達成するのかということばかり気にしてるうちに話が終わってしまった。
鑑賞の姿勢を間違えたなあという話。帰宅して5時間ぐらいしてから「あれってもしかして面白かったんじゃないだろうか」などと思った。
ということで感想は保留して映画館でもう一回観る事にした。今度は楽しめそうな気がするんだけどなあ。