なんで『趣味:インターネット』がダメなのか問題

ネットも現実の一部だという言葉をよく聞くのに、何故趣味がインターネットだと言うとダメっぽい感じがするのか。自虐的なニュアンスで使われることこそあれ、あまり言ってる人を見たことないよなあ。
時間の浪費感が強いからか。じゃあ何故浪費感が強いのかという話だ。得るものがないとかいうことなら大抵の趣味は得るものがない。「いや俺は草野球が趣味だが体が鍛えられる。どうだ、得るものがあるではないか」といった反論は当然あろうが、体を鍛えたいなら野球よりも有効な手段がたくさんある。いかなる趣味も「得るための行動」にはかなわないことになってしまうではないか。趣味を利益という面だけで語ると面倒なことになるのだ。
じゃあ情報量だな。やはり現実における趣味は五感をフル活用するので情報量が多く密度も濃い。短時間で多くの情報に触れるのは充実感があるだろう。しかしこれを言い出したら趣味が読書だの音楽だの映画だのといった人間は全員アウトだ。情報を絞ることで増す魅力もあるし、省略し濃縮することで多くの情報を短時間に摂取できるということにも意味はあるはずだ。
うむう。わからん。でもやっぱり趣味がインターネットって言われたら一瞬考えこみそう。


ということを知人と話していたんだが、「要するに手段は趣味にならないってことじゃない?」といわれて納得した。たしかに「趣味:電話」や「趣味:携帯メール」は成立しにくい(皆が携帯持ち始めた時代だったらありうるかな)。「趣味は金儲け」の場合も、稼いだ金の使い道や行動に対する評価としての金に興味があるわけで、これが「何のやりがいもなく使い道も一切ありませんけど、金儲けが趣味です」だったら厳しいだろう。「インターネットを使って○○をしています」だったら趣味として通用しそうだもんなあ(暗そうなイメージは持たれるかもしれないけど)。
後で考えたんだけど、かつてネットが趣味で通用したことがあったじゃないか。後ろめたさもなく「趣味はネットサーフィン」って言ってる人がいた時代が。
手段は趣味にならないけど、ブームになってるうちは世間も騙されてくれるってことか。
しかしこれは世間がどう思うかの話でしかないので、インターネットが趣味の人はインターネットが趣味で全然かまわないだろうというのが俺の意見。