バットマン イン ザ ホワイトヌーン

白昼の往来を1人の男がバットを持って歩いてくる。それに気付いた俺は恐怖に怯えた。こんな大通りをバットを持った男が?半袖のTシャツから覗くトライバルの刺青、何日も洗われていない様なボサボサの髪、何かを睨んでいるかのようでありつつもその対象がわからぬ目。その眉は社会への不満によって吊りあがり、半開きの口からは気化した呪詛が漏れ出ている。彼の全身からは悪意に黒く染まった汗が噴き出していた。
周りには誰もいない。行きかうのは車道の車ばかり。このまま彼とすれ違ったら何か良くないことが……いや、何かとかいった漠然とした不幸ではなく、命に関わる危険が待ち受けているであろうことは容易に想像できた。鋭敏な俺の嗅覚は数瞬のちに流れ出る血の匂いを嗅ぎ取っている。陽光に照らされながら鮮やかさを失っていく大量の血液。
背後からの急襲を思えば踵を返して逃げ出すことも許されない。俺は攻撃をかわすことに集中すべく、彼の一挙手一投足に注視しようとした。その時だ、彼の左手にグローブが握られていることに気付いたのは。途端に世界に影を落とす暴力の神は去った。大気を染めていた殺意は霧散し、俺の精神を焦げ付かせるべく照り付けていた太陽の光は優しい日差しに変わった。
だってさあ、あれはどう見ても野球する人に見えないよ。まず年齢的に野球って歳には見えなかった。まあ、社会人野球ってのも存在するけど、両腕の刺青や風貌がどう見てもそんな感じじゃない。そして場所が大通りだし、バットを使うなら当然投げる側の人間が必要なんだけど、それも見当たらない。こうなるとバットの持つ鈍器的な側面(銅の剣買うまでは充分これで戦えるよ的な側面)が浮き彫りになるわけだ。バットを見せて「これは何に使うものですか」と問うならば大抵の人は「野球です」と答えるであろう。それ故に刺青+バットとか大通り+バットといった組み合わせで野球のイメージが奪われた場合、そこにあるのは棍棒なんだよな。しかしここまでバットが野球用としてのイメージを保てない状況であっても、たった一つのグローブであらゆる不安が拭い去られるのだな。これは野球ですよと。このバットはボールを打つ道具ですよと。白昼、包丁を持った男に遭遇したら身も凍らんばかりの恐ろしさであろうが、もう反対の手に活きの良いマグロあたりが握られていたら大丈夫かもしれん。複数の約束によって信頼は強固になる。ただ、その約束が守られるとかその信頼が絶対とかいう保証はどこにもない。安心した瞬間に俺の頭骨が逆転満塁ホーマーという可能性もゼロではないのだ。