福山雅治=悪霊に取りつかれている

ある種類の正義のためにマダムが土俵入りした話についてだけど、彼女が手にしていたエキセントリックな紙片、あれって普通は福山雅治が悪霊憑きであるように解釈するよね。でも良く考えたら等号で結ばれているのは「福山雅治」と「悪霊に取り付かれているという状態」であって、つまりマダムがやったのは「もともと存在する言葉(というか人名だけど)に新しい意味を与えよう」という活動でしかないわけで、特に福山本人ないし福山周辺がヤバいことになっているということは一切ないんだよな。安心した。やっぱ悪霊憑きのCD買うのはおっかないもんなあ。どっちにしろ買ってないけど。
しかしこれが採用されちゃうと、エクソシストのあらすじも「福山雅治少女リーガンと神父の壮絶な戦い!」とかになっちゃうんだな。それより一番懸念すべき事態は福山雅治に悪霊が取り付いてしまった場合だな。「福山雅治福山雅治」って言いにくい。言いにくい上にこの文字列ってずっと眺めてるとゲシュタルト崩壊がおきる。ハッ、もしかしてこれって悪霊の仕業!?怖い!助けて! やめてください!親方!親方!