許斐剛のバランス感覚

テニスの王子様のジャンルを問われたら、多くの人が「超人スポーツ漫画」とか「ギャグ漫画」などと答えると思うのだが、意外にも我々はテニスの王子様を常識の大地に足をつけた漫画として見ているのではないかと思う。
そう考えた理由は「競技者が発しているオーラが観客に見えている」ということについて「あれは強大なパワーの漫画的表現ではなくて実際に見えてるのか」と笑う意見をネット上で散見したことにある(確かに俺もこれには笑った)。超人同士が戦う漫画でオーラが見えたところで別に面白くはないはずだ。しかし我々はテニスの王子様を読んで笑ってしまっている。そもそもテニスの王子様の作中では、すでに何度となく人智を超えた体技や殺人光線まがいの描写を伴うショットが描かれているにもかかわらず、我々はその度に噴き出す。これは常識の大地に足をつけた者達が突然、固定観念の重力を逃れてフワフワと異常という名の空へ舞い上がることについて受ける衝撃ゆえではないだろうか。
そして、このバランス取りを許斐剛は意識的にやってるのではないか。そう思ったのは、金太郎の必殺技である「超ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐」が作中で3回打たれている(うち1回は無我状態の越前の手による)にもかかわらず、その実態が一度も描かれていないことからだ。特に大車輪山嵐が破られた後は、技の神秘性を維持する必要が全くないので、その凄さをはっきり描いたあとで幸村に破らせた方が強さを引き立たせる演出として有効になるはずだ。しかし、大車輪山嵐は描かれなかった。その理由はおそらく、人間を軽々と観客席まで吹き飛ばす108式を超えるとまで言わしめた大車輪山嵐を描こうとすると、どうしてもそれは超人バトル漫画の領域かギャグの領域にしかならないからではないだろうか。たしかにその一瞬の驚きはあるかもしれないが、その破天荒な描写が新しい物差しになってしまっては、あとはそれを越える描写を乱発するほかなく、当然のことながら読者はテニスの王子様を単なる「ギャグ・超人バトル」の眼鏡で見始める。超人が超人として振舞うところに驚きは生まれない。そこには興奮も笑いもない。
ちょっと前から俺は許斐剛を優れたバランス感覚の持ち主ではないかと思い始めていたのだが、上に書いたような理由から、それは確信に変わった。え?単に108式を超えるような凄い技を思いつけなかったんじゃないかって?ちょ…君…馬鹿なことを!そんなわけないだろう。許斐先生に謝りたまえ!