ブロントさん段落97ページ

移ろい易きはネットの流行。三日過ぎれば死語となる。如何なる流行も、君がエンターキーを押す5秒ぐらい前で終焉を迎えている。
俺もいっぱしのインターネッティストであるからして、常にウェブ上の最新流行を追い続け、古くなった流行語を見つければ病的に甲高い声で「アンテナひくい!アンテナひくい!」と口から泡を飛ばしながら連呼。次第に量を増していく泡に全身を飲み込まれ、泡が消えた頃には我が姿は完全消滅。そんな消失ミステリーを日課として繰り返しておる。
しかしなー。ブロントさん(http://www.geocities.jp/burontosan/)に関しては定期的に飽きたり定期的に夢中になったりを繰り返している。そして今また俺は極私的ブロントさんブームの真っ只中に。
数行の間に高速で接続と断線を繰り返すコミュニケーションラインから、かろうじて伝わってくる息も絶え絶えの物語。それは詩といっても差し支えないと思う。彼の発言には不思議の国のアリスに登場する『ジャバウォックの詩』を思わせるナンセンスな面白さがある。アリスを邦訳する上で数々の翻訳家が頭を悩ませた領域に、いとも容易くカカッと踏み込むブロントさんのセンスはまさにヴァナのルイスキャロルと呼ぶに相応しい。
詩であるからには朗読してみたいと考えるのも当然のこと。ブロント語録が声に出して読みたい日本語であることは確定的に明らか。しかしそれが意外と難しいのだよな。単なる音読と、朗読の違いというか。トイザらスの店名を読むのに趣向を凝らす必要はないが、キングベヒんもスが内包する諧謔を表現したければ一本調子で文章を読んだりしてはなるまい。破壊力ばつ牛ンが持つ言語としての破壊力を再現したいと願うなら、それはどんな読み方をすれば果たせるのであろうか。『牛』という文字の持つ猛々しさや場違いなユーモアを、半角で表記された『ン』の寸詰まりでありつつも歯切れの良い語感をどう発声すれば実現できるというのか。おそらく句読点が存在しないことによって生まれる疾走感は、アニメ『ギャグマンガ日和』で採用されていた息継ぎ部分をカットする手法によって再現できそうな気がするのだが、絶妙なタイポによって生まれる迫力はいかんともしがたい。これは、該当部分で声を裏返らせる等の小手先の技で対応できるものではない。むしろ無理に可笑しくしようとすれば、せっかく拾い集めたブロントさんという名のパズルのピースを取り落としてしまうことになりかねない。
ここまで悩んでたどり着いた結論なのだが、ブロント語録を朗読するのなら笑いを優先しようとせず、ブロント本人(ネット上に跳梁する書き込みの集合体を指して本人と呼びたい)の思い描いた、強くて人気者なブロント像をイメージし、ひたすら真摯な態度で文章を追うのが正解ではないだろうか。全力で図るコミュニケートが、その全力さゆえに伝わらないという状態を表現するには、自分もまた一心不乱の態度でブロントの言葉を追い、インターネットの冥府よりブロントの霊を引き下ろすしかないのではなかろうか。声が嗄れ、喉が裂け、焼けるような痛みの中で吐き出した血の中にだけブロントさんの姿は映るのだ。かつて彼は言った。「お前らにブロントの悲しみの何がわかるってんだよ」と。ブロントを読み解く鍵は笑いでなく悲しみにあるのだ。彼の悲しみを表現しきった時、ブロントは現実世界に光臨する。そこで初めてブロント語録を朗読したと言えるのではなかろうか。