平行世界のナベアツ

商店街を散歩していたら、世界のナベアツの人気ギャグであるところの3の倍数で判断力が著しく低下するアレを真似る幼児がおった。この手のものは見ている方が気恥ずかしくなってしまうものだ。微妙に賞味期限が過ぎてしまっていることも恥ずかしさを募らせる一因だろうか。とはいえ元気がよくて結構なことだ。俺は微笑ましく思いながら、その横を通り過ぎた。よく考えればこの時点で違和感はあった。
俺の違和感をハッキリとしたものに変えたのは、背後から聴こえる「ななっ!」という阿呆の声。俺は思わず声にだして「えっ?」と言いつつ振り返った。なんということだろう。子供は、ナベアツ世界を支配する唯一の法則である『3の倍数の時に』を完全に無視し、てきとうなタイミングで阿呆になっているのであった。よくよく考えれば幼児にとって『3の倍数』というのは理解できないかもしれない。彼が倍数を理解するには小学六年生になるまで待たなくてはならない。しかし彼の阿呆になりたい欲望はそれを待つことができない。かくて何の法則性もなく気の向くままに阿呆になる子供が爆誕した。
しかし、たった1つしかないルールすら守らないというのは何と可笑しいことだろう。俺は笑いを堪えるのに必死だった。ナベアツ氏も5の倍数の時云々とか7の倍数の時云々という方向に発展させるよりは、こっちに行って全てを打ち壊した方が面白かったのではないかとすら思う。いやいや、しかしそれでは2手で終わってしまう。賞味期限を長くする必要のあるショウビジネスの世界では悪手であろう。これはコメディアンを職業としていないからこそ可能なギャグなのだ。ハイレベルな子供もおったものよ!
押し留めるのが困難な笑いの波。これは堪らないと早足になる俺。一人歩きの男が路上で大爆笑していたのでは周囲の目も冷たくなる。いかんいかん。一刻も早くも名コメディアンの声が届かぬ場所まで逃げないと……慌てる俺の背後から「じゅうよんっ!」という声が突き刺さる。そして俺の表情筋は弛緩し、口に含まれた烏龍茶はドボドボと路上に撒かれるのだった。