お湯は生きている

最近、食事をとるのが面倒くさくてお湯ばかり飲んでおりました。そのせいで頭に栄養が行きわたらなかったのでしょうか、こんなことを考えました。それはお湯は生きているのかということです。
「水は言葉がわかる」という説があるじゃないですか。説だか与太話だかは知りませんが、水に綺麗な言葉を聞かせると綺麗な結晶を作り、汚い言葉を浴びせると汚い結晶を作るとかいうやつ。これを根拠にして「水は生きているぜー」とかいう、いわゆる水伝とかいうやつです。
ファンタジー思考全開で行くと「水が生きてる」ってのはなんか分かるじゃないですか。分かるっつうか、そういうことを考える人の気持ちが想像できなくはないっつうか。だいたい、生きてるっぽい雰囲気があるからこそ、水伝がこれだけ広まったりしたわけじゃないですか。でもこれがお湯だったらどうですかね?生きてないっぽい感じがしませんか?たとえ凍らせても我々にメッセージを伝えんとする水なわけですから、沸騰させたところで生命活動を止めることはないとは思うのですが、でもなんか熱湯って生きてないっぽい感じがするんですよね。
あと、水って綺麗な言葉ならば綺麗な結晶を作るといった具合で、ダイレクトに言葉を受け止めてしまうみたいじゃないですか。そうすると良い悪いじゃなくて『曲在るのりました』とか全く意味をなさない文字を見せ続けるとどうなるんですかね?発狂しちゃうんですかね。水が狂うってなんかこわいなー。みなさんはこわくないですか?俺はとてもこわいです。狂った水とか飲みたくないですよね。意味不明な言葉を聞かせた水を『狂った水』と称して毎日誰かに飲ませたら実際に発狂するじゃないかなと思います。
その点、お湯は狂わないっぽいですよね。っぽいですよねとか、全部俺の感覚だけで話をしているので、みなさんに伝わってるかどうかわかりませんけど。最初の「お湯は生きてないっぽい」の時点で伝わってないかもしれませんけど。お湯も冷ませば水に戻るわけですから、やっぱりお湯も生きてるし狂うのかもしれませんね。きちがい湯。あー、きちがい湯を使った風呂って嫌ですよね。じわじわと気が違っていきそうな感じで。
で、ですね。実際に狂った水を作成して飲んでみたんですけど、本当においしくないんですよ。飲んでると気持ちも沈んでいくし。水が言葉の影響を受けるかどうかはともかく人間が言葉の影響を受けやすいのはよくわかりました。