くしゃみ三回オレ参上

  • 最近のインターネット-また君か。@d.hatena

http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20090222#p2

最近ガード下とかで「〇〇参上」みたいなラクガキを見ないな。やっぱいまどきの若者的な自意識はへりくだった表現が NG になってるので(←だから自虐に耐えられない)、「参上」みたいな謙譲語は使わんということかな。となればいずれ「〇〇降臨」とか「〇〇巡幸」みたいな表現が出てくるのか。

マジレス魔界から来たマジレッサーデーモンたる俺なので無粋極まりないマジレスをしてしまうが、暴走族が書くところの参上は謙譲語ではないよね。ただ「来た」というだけの事実が書き残されるだけの価値を持ってしまう特別な存在、それが俺…という話であってさ。というのも、この参上という言葉、怪傑ズバットだったり忍者ハットリくんだったり超絶倫人ベラボーマンだったり銀河旋風ブライガーだったりという特別な存在の登場に使われるフレーズだったわけでね。何故それらの特別な存在が謙譲語を使っているかというと「あくまで俺は正義のしもべ」だとか「守るべき尊い命に仕える俺」という自覚があるからだったりするからなんだけど、その本来の意味が薄れて、単に自己顕示欲の強い奴のためのフレーズになってしまったと。そういう感じじゃなかろうか。
ということは「○○参上」というラクガキを見かけることがなくなったという事実は、イコール、無根拠な己惚れや思春期特有の選民意識を持った若者が減りつつあるということではないだろうか。「わざわざ名乗るほどの者じゃございませんよヘッヘッヘ」というわけだ。比較的簡単に他とは違う存在になれるということで若者達に重宝されている不良という存在ですらこの有様。若者の無気力化はもはや止まることを知らぬと言えよう。
逆に最近よく目につく暴走族のラクガキが「○○消滅!」というものだ。深夜の闇をつんざく近所迷惑な大爆音がやにわにピタリと止んだことを不審に思った近隣の人々が外に出てみると、ガード下にスプレーを用いて書かれた「○○消滅!」の文字と、よく手入れされた数十台のバイクの放置された姿、そしてその一台一台に脱ぎ捨てられた特攻服が物寂しげに引っ掛けられた光景が広がっているという。以後、その暴走集団が一切姿を見せなくなったという話からすると、彼らは本当に消滅してしまったのだろう。特別でないことを自覚してしまった男達が、なんとかして特別な存在になろうと足掻いた結果、それがこの消滅だったのだろうと想像できる。確かにこの「消滅」というラクガキは、それを目にした近所の人々の心に焼きつくだろう。しかし、それがなんだというのだろう。俺は怒りと悲しみのないまぜになった感情を抱えながらここに記す。もしもここを読んでいる暴走族の方々で「消滅して有名になろう」「消滅して特別な存在になろう」と考えている人がいたら、俺は本気で叱り飛ばしたい。「消滅してはいけない!」と。
一方、明るい話もある。モスクワの民家の壁に赤いスプレーで「東京地獄愚連隊参上!」というラクガキがされていたというのだ。自分が特別でなくとも、書く場所を変えるだけで「参上」の言葉が相応しい特殊性が生まれるということに気付いた彼らの発想力には思わず胸が熱くなる。絞りハンドルに爆音マフラーの族車を荒縄で背中に結わえ付け、ひたすらにオホーツク海を泳いだはみ出し者達の雄姿を想像すると涙が止まらない。俺は決して暴走行為を推奨するような人間ではないが、オホーツク海の冷水の中にあってなお熱く燃えたぎっていた彼らの思いだけは、なんとなくわかるような気がする。