システムメッセージよ我に敬意を払え

かなり前のファミ通クロスレビューで、心理テストを題材にしたソフトに対する評価として「コンピューターがプレイヤーをオマエよばわりしてくるのが不愉快」という狭量ここに極まれりみたいな減点理由が書かれていて笑ったことがある。たぶんこれはナビゲーター役を務めるキャラクターがそういう口調に設定されてたんだろうけど、こういうのが不愉快な人っているんだなーと思った。俺にはいまいち理解できんけど、これって腹が立つもんなのかなー。作中に気分を害するようなキャラクターが出てきて嫌な気持ちになることはあるけど、それとは話がだいぶ違うよね。純粋に「コンピューターごときに俺が無礼な態度をとられた」ということに対する怒りなわけだし。RPG等の名前入力の画面ってだいたい「入力してください」と丁寧な口調でお願いするのが一般的で、雰囲気重視の場合は「入力セヨ」だったり「入力しろ!」だったりすることもあるけど、システムメッセージに人格がないことが解りきっている以上、どんな口調で言われようと腹を立てる理由ってあんまりないような。するとやっぱり件のレビュアーの人の沸点が低かったというだけの話なんだろうか。
どうやったら俺も腹が立つか考えてみるか。例えばRPGで街の人に話しかける度、奴等が発言の最初に「おまえの頭でもわかるように説明すると…」ってつけてくるのはどうだろう。いや、別に腹は立たないな。いくら感情移入しててもプレイヤーキャラ=プレイヤーではないし、NPCの発言=作り手の発言でもないし。
あー、そっか。心理テストゲームは自動的にプレイヤー=プレイヤーキャラになってしまうわけだから、コンピューターに人格を見て取れば、作り手に直接プレイヤーがオマエよばわりされてる気持ちになるのか。……いや、コンピューターに人格を見てとればという前提がけっこうレベル高い気がするな。あ、人格まで見て取らなくても作り手の影が見えれば腹が立つのかな。そんなもん見て取る方がおかしいという話はさておき。
俺がこの手の憤りを覚えるシーンを想像してみると、画面に表示されるメッセージとして「プロデューサーの○○です。こんな序盤でこれだけゲームオーバーになるというのはゲームの上手い下手の問題じゃなくて、君が知識、判断力、反射神経をはじめあらゆる点で他人に劣っているということだと思う。何をして生きてくればこれほどまでに能力の低い人間が出来上がるのか知りたいぐらいだ。正直、この先このゲームを続けてもらっても僕の想定した面白さが理解できるとは到底思えないから、今すぐコントローラーを置いてもらえないかな?」とここまで来たら怒るかなあ。もはやこれってゲームで怒るとかそういう問題じゃない気がするけどさ。個人に罵倒されてるだけだし。でも、ここまで来ないと怒れない気がする。
更にゲームのメッセージで怒った例を思い出し続けてみると、ファミコンディスクシステムのアクションゲーム『パルテナの鏡』はイラッときた覚えがあるようなないような。流石に大昔のことだから記憶が定かでない。もしかしたらそんなに不快だったわけじゃないかもしれんけど。
ただ、その怒りは説明できる気がするんだよな。流れとしては『ピット(プレイヤーキャラ)が死亡→画面が暗転して黒スクリーンにカタカナで「ヤラレチャッタ」の表示』という流れなんだが、やられモーションのプレイヤーキャラが画面外に消えるということで充分に説明された死を、意味もなくわざわざ文字にしてもう一度説明するという点と、『ミスした』『死んだ』でなく「ヤラレチャッタ」というプレイヤーの立場でするべき発言を頼まれてもいないのに勝手にコンピューターが行うというあたり。更に言うなら、別に「ヤラレチャッタ」とは微塵も思ってないのにそれが自分側の発言であるとされてしまう居心地の悪さ。まあ、俺の発言というよりはピットの発言なんだろうけど。これもシステムメッセージで腹を立てた例に含まれるのかなー。それにしてもパルテナの鏡のヤラレチャッタはBGMといい表示タイミングといい絶妙なんだよな。今、俺とゲームは真摯な気持ちで向かいあっているという幻想を、ミスの瞬間にがらっとひっくり返して「ねえねえ?今どんな気持ち?プププー。」みたいな。前述の心理ゲームもそういう感じだったのかもしれんね。音楽とメッセージで的確にプレイヤーの心の傷をえぐってくるような。「オマエ」のひとことから人格の完全否定を読み取れるようなすごいゲームだったのかもしれん。