どこまでがゲームと呼べるのか

事前情報がほとんどなかったRPGを購入して来て、ケースをパカッと開けたらディスクの代わりにおせんべいが入ってたらどうよ?体験としての衝撃度はそこらのゲームとは比べ物にならんと思うんだわ。だって、せんべいだよ?確かに雑誌の紹介記事に書かれていた「かつてない驚きがある」「かなり歯ごたえがある」「味わい深い」という紹介は事実だし、「有名イラストレーター○○氏を起用!」という煽り文句に関してもせんべいの表面にプリントされた絵を見る限り全然間違ってない。
ひぐらしのなく頃に』は選択肢によるストーリー分岐がなく、プレイヤーが介入できる要素のないにも関わらずゲームと呼ばれたけど、これは、同じ条件を与えられたプレイヤーが互いに意見を交わすことで推理を進行させるという盤外での体験も含めてゲーム的だったからという理由も少なからずあると思う。だとすれば、プレイヤーに与える衝撃において数段勝り、プレイヤー間で語り合う要素も無数にあるだろうおせんべいはゲームと呼べるのではないかと思う。その体験は10年の時を経ても同士と楽しく語り合うことができるだけの耐久性もあるだろう。「ゲームのケース開けたらおせんべい」は「最初のクリボーで死亡」「チェーンソーで真っ二つ」などに並ぶゲーム思い出語りとして機能するのではないだろうか。
おせんべいをゲームとして楽しもうと考えたならば、そこにはかなりの想像力が必要になってくる。想像力の豊かな上級ゲーマーはそのオリジナリティ溢れるプレイ風景をインターネットの動画サイトやブログ等にアップするだろうし、そうでない人間も掲示板等から自分なりの遊び方のヒントを得て、いかにおせんべいを楽しむかに頭を悩ませるだろう。一本道のRPGなどとは比較できないほどのゲーム体験だと思う。
ここまで書いて俺は「あ、もうおせんべいしかないな」という気持ちになってきている。ゲーム業界の閉塞感を打ち破るのはおせんべいに染み込んだ醤油味しかないなと。実際に発売するにあたってハードメーカーの説得や発売後の裁判等、数々の問題が立ちふさがるだろうが、是非とも理解あるゲームメーカーに頑張ってほしいと思う。