単純な漫画が読みたいぜー

もっと単純な漫画が読みたいぜー。「強い力で殴ったら悪い奴が死んだ」みたいなストーリーが見たいぜー。俺ぐらいになるとセンスが一周して、逆にそういったものを面白く感じる……と言って気付いたが、センスとは一周するものなのか?針が一番上まで行ったら下から出てくるようなもんなのか?普通に考えて、それは一周したとかではなく単に理解力が低下した結果なのでは……いやいや、違う。一周したんだよ。ひょっとしたら二周ぐらいしたかもしれない。既に三周目の準備に取り掛かっているという噂すらある。
最近は少年向けバトル漫画といえどキャラクターの内面に関する描写が重要視されるきらいがあるという話をいつか書いたような書かなかったような気がするが、その動機というのが、話が単純化するのを恐れているからであるように見えて仕方がない。少年漫画なんだしキャラクターが感情論で動いても別にいいんじゃないかと思うんだが、作家としてのプライドがそれを許さなかったりするのかなー。ベースは感情論なのに無理矢理な理由説明を追加したりするからストーリーが意味もなく複雑化したりするっつう。複雑化することで深みが出るというなら納得もいくが、本筋を捉えにくくするぐらいの効果しかなかったりするから困る。しかし、ここら辺はある種の誠実さなんだろーなーという気もする。客に出すものならば全力で調理しなくてはいけないという使命感みたいな。回想シーンでパワーアップとかもそれだよな。「これだけの理由が背景としてあるのだから読者の皆様におきましても今回のパワーアップを納得していただけるものと確信しております」というさ。あれを一言二言の台詞で済ませないのは誠実さの表れじゃねえのかなあ。しかしシェフの誠実な態度は認めることができても「絶対おいしくなるので塩を1kg入れます」と言われたら「ちょっと待ってくれ」ってなるよ。
そういえば、コンビニ売りのジョジョの単行本あとがきだったと思うけど、「吉良吉影の生い立ちについて深く掘り下げなかったのは意図的なものである」というような作者コメントには感心したものだ。あの設定とキャラ配置だったら、どうしても父親や母親との関係等を何話も使って描きたくなるのが普通じゃないかと思う。しかし荒木飛呂彦は吉良に感情移入できる要素を極力減らし、倒すべき敵として描ききった。ジョジョの面白い点って、その奇妙さよりも、少年漫画であることを守りきる姿勢にあると思うんだよなー。だいたいジョジョって「正義のマッチョが悪人をパンチでボッコボコ」だけで語れるとこあるじゃん。5部6部あたりで主人公は大男じゃなくなって能力もトリッキーなものになったけど、フィニッシュホールドは相手が倒れるまでパンチ連打ってあたりに揺るぎない男らしさを感じる。そう思うと、スティールボールランが連載中に掲載誌を移したのもわかる気がするんだよな。
などと言って見たものの、昔に戻れば幸せになれるものではないし、複雑化にも意味がないわけではないんだよねえ。ひっかかりを増やせば、それだけ読者が食いつく確率も上がるという。キャラクター100人出して100人分の内面を描けば、どれかにひっかかるかもみたいな。でも『炎の転校生』がギャグでやってた、ストーリー上全く重要でないキャラの走馬灯を描くっていうのを真顔でやっちゃうのもどうかと思うんだけどなあ。
……と、もうちょっと書くことがあった気がするんだけど、ここまでで中断。