COBRAさんがかっこいい

コンビニ売りのコブラの単行本を読んでるんだが面白いなー。断片的な記憶はあるんだけど通して読んだ事はなかったので月に数回の発売日が楽しみで仕方ない。
しかし清々しいほどにコブラ中心の世界なんだよな。コブラのかっこよさを引き立てるためにのみ世界が存在しているかのような。でも、あらゆるご都合主義も「コブラさんほどの色男に運命の女神が惚れるのは当然」って感じで許せてしまう。
コブラ中心世界の非情さの一例として、情報提供者だとか道案内人として登場するチョイ役は、ほぼ確実に死ぬといいうのがある。コブラはより危険な方向に向かって進んでいく習性のある生き物なので、舞台は危険地帯へ危険地帯へと移って行くのだが、そこで道連れの非戦闘員が残っていると、彼または彼女が存在していることを考慮した上でコブラと敵の激戦を描かなくてはならなくなる。これは非常にめんどくさい。そこでとりあえずチョイ役を殺しておけばコブラを中心とした作劇がしやすくなり、話がスムーズに進むというわけだ。読み慣れてくると「こいつ死ぬな」ってのがだんだんわかるようになってくる。まあ、死ぬに賭けておけば高確率で正解を勝ち取れるという分のいい賭けなんだけど。
合理化だよね。皆の見たいものはコブラさんなんだから、余計な展開に無駄ゴマを割いてはいられないという。もう一つコブラの作中で多く見られるパターンとして、味方であるかに見えた女が実は敵ってのがあるんだけど、これも限られたページの中でより多くのアクションとお色気を盛り込むにはどうしたら良いかというのを考えた結果、「女の敵を出せば二つの要素を同時に出せる」って所に行き着いたんじゃないかなって気がするんだよね。
この漫画の人気投票を行ったとしたら、レディ、クリスタルボーイ、ドミニクあたりがそれなりの票を獲得する可能性はあるとしても、基本的にコブラ以外に投票のしようがないよな。ストーリーの軸がぶれないような漫画を描く方法として主人公に焦点を合わせ続けるというのは単純ながらも効果的な方法だと思ったが、最近のマンガでこの方法を取るのは危険というか編集者が許さない気がするよなー。もっとサブキャラを出せって言われそう(そして現代の空気を考えると、そっちの意見の方が正しい気もするし)。それだけにCOBRAという話は今読むと新鮮だ。