見知らぬ幼女による新理論

正月に備えて買い出しにでかけたんだが寒いわダルいわで大変。なるだけ体力を使いたくない俺は背中を丸めて、亀の歩みと死んだ魚の目という失敗キメラ状態で街を行く。とにかく憂鬱。これから何時間経っても年が明ける気がしない。ほんとに明けんの?仮に明けたとしても光の差してきた先には犬の死骸がギッシリとかじゃないの?
そんなこんなで商店街に着いた。でももう駄目。疲れて動きたくない。家から出たくない。それは出てから言うことじゃないだろ。でも言いたい。が、口に出しては言わない。口動かすと疲れるから。
目の前に、父親に手をひかれた幼女。2つ結びにパーカー。無駄に元気。前方に進むだけなのに右へ左へひらりひらり。父親が「そんなにはしゃいじゃ疲れるだろう?」と幼女に問うと、彼女は「こうやって力を使うことで、さらに力を引き出すことができる」と答えた。父親は笑って「聞いた事ねえよ」と。
聞いたことねえが目が覚めた。幼女、あんたが正解だ。俺は幼女の服についてるフードに小銭をたくさん投げ入れたい衝動を抑えながらリトル導師に手をあわせる。俺は背筋を伸ばして歩き出した。消耗しない方法を考えるのが大人の知恵だが、消耗しないことを目的に生きたのでは辿り着ける場所にも辿り着けまい。俺は飛び跳ねながら歩く彼女の後ろ姿を追う。彼女の導きで俺は来年に辿りつけるだろう。決して明けないと思っていた年が明けるのだ。
俺が買い物を済ませたにもかかわらず、幼女と父親はあまり遠くへ行っていなかった。無駄な動きが多いからだ。一度は背を向けて家路につこうとしたものの、恩ある幼女に感謝の意も示さずに去ることなどできるはずもなく、幼女の2つ結びをギュウと握って引き留めると、笑顔でパーカーのフードに丸餅を一個ずつ詰めた。
父親に怒られた。