魂斗羅とは最強の闘士の呼称であるというが

魂斗羅シリーズと言えば『天王創魔心ゴメラモスキング』だの『陰獣魔神像デスゲルベス』といったトゥーマッチな名前を持つ敵キャラクターが頻出することで知られているが、この名前って地球人側が付けた名前なのか、それともエイリアン側が自ら名乗っている名前なのかという事が気になる。その中でも特に気になるのが巨大な骸骨に似た姿のロボット兵器である『大覚ロボ・ビッグファズ』だ。「悟りを開く」という意味の大覚をロボの名前として採用するアクロバティックに皮肉めいたセンス。これがエイリアン側の発案だとしたら、エイリアンの文化には悟りという宗教概念が存在することなり、更にそれをロボットの名前として採用するようなアイロニックな、もしくはユーモアに溢れるセンスを有している事になる。これはとても興味深い事だ。もし、これがアメリカ軍人によるネーミングだったとしても、やはり「何故、敵の操る巨大ロボットに大覚ロボなどという有難い名前を付けるのか」「何故、アメリカ人にはあまり馴染みのないような大覚という単語が使われたのか」という疑問が残る。どちらにしろ、その背後には複雑なドラマの匂いを嗅ぎ取ることができようというものだ。
ビッグファズ以外のキャラクターの名前を見ることで手掛かりが掴めぬものかと思って調べてみると、まず目についたのはFC版スーパー魂斗羅のラスボス『陰獣キムコウ』だ。普通、陰獣って自称するもんだろうか?獣だよ?これはエイリアン軍のネーミングは地球人によってなされたという根拠にならないか。乱歩の世界ならいざ知らず、エイリアンの親玉が陰獣を自称するとは考えにくい。HUNTER×HUNTERに出てきた陰獣は自称だった気がするが、奴らとエイリアンのボスでは立場が違うだろう。すると大覚ロボもアメリカ人によるネーミングなのか?
しかしここで気になってくるのが魂斗羅スピリッツの『対魂斗羅戦艦ドドリゲス』や『極秘実験生物アントヘル』といった存在だ。これらのネーミングは完全にエイリアン視点ではないか。更に初代魂斗羅より登場する『無死角回転砲』のネーミングにおける誇大広告っぷりにもエイリアン側の思い入れを感じる。すると大覚ロボもエイリアンによるネーミング……?
正解はどちらなのだ。わからん。そんな中で地球人側が名付けた事がはっきりしている名称がある。それは他ならぬ魂斗羅というチーム名だ。「魂斗羅とは熱い斗魂とゲリラ戦術の素質を先天的に合わせ持つ最強の闘士の呼称である」とのことなので、これは地球人側から発生した呼び名と見てよかろう。何故にアメリカ人が魂斗羅などという暴走族まがいの当て字を使用してるのかは疑問だが、魂斗羅の舞台は初代の時点で2633年。下手に19XX年とか20XX年にしなかったのが幸いした。これから600年以上先だったらアメリカの文化がどう変わっていてもおかしくないので魂斗羅という名称には何の問題もない。うーん、これだけアメリカが日本かぶれした未来なのだ、『大覚ロボ・ビッグファズ』はアメリカ人によるネーミングだと解釈するのが自然だろうか。あとは何故あの巨大骸骨メカに大覚ロボなどという名前をつけたのかという謎が残るが、そこはアメリカ的なアバウトさで骸骨の姿から即身仏を連想しただけではないだろうか。そう思うと実にアメリカ人らしいネーミングに見えてきた。もしかしたら登場時に鉄扉を開くのが「悟りを開く」と掛かってるのかもしれん。奴が投げてくるBOMBも、悟りに至らぬ者を指す凡夫とかかっているのかもしれん。アメリカンジョーク。

北斗無双に期待したいのだが

北斗無双が歴代の北斗ゲーの中でもトップクラスの面白さになるのは間違いなかろうと思っている。というのも北斗ゲーの歴史は駄作の歴史であるので、完成したゲームが北斗+無双という計算式から想像される最低限のモノだったとしても、今までの北斗ゲーを軽く凌駕する出来になるであろうというのは疑う余地がないからだ。バランスに難があるもののコアなファンを獲得したアーケード版の格闘ゲームや、抱腹絶倒の世紀末シアターモードで有名だが本編もそこそこ面白いPS北斗、アクションゲームの基本を押さえつつファンの期待も裏切らないセガマークIII版北斗などといった秀作は存在するものの、基本的に購入者達の哭く声がカサンドラの街もかくやとばかりにこだまするのが北斗ゲーの世界なのである。ちなみに『ウイルスキラー北斗の拳』というアンチウイルスソフトすら、北斗関連商品だから仕方がないと購入した俺だが、ある時、アップデートファイルの配布ミスで購入者全員の『ウイルスキラー北斗の拳』が『ういるすきらぁハローキティ』に更新されてしまうというおもしろ事件が発生した。それを目の当たりにした時すら驚くよりも先に「北斗だからなあ」と納得してしまったぐらい、北斗関連商品に対する期待は低い。
で、本題。先日ニコニコ生放送北斗無双の発表会を視聴したのだが、ちょっと残念なことがあった。画面に映るのははケンシロウとシンの一騎打ちのシーン。突進をかわされると手刀が柱に突き刺さって動けなくなるという、いかにも低次ラウンドのボスらしいアルゴリズムを与えられたシンに涙しつつゲーム画面を眺めていたのだが、突如画面外から出てきた雑魚が痛快ガンガン行進曲のカツオよろしくケンシロウを羽交い絞めにし、そこでシンが「何本目に死ぬかなー?」と言いつつ指先でケンシロウの胸を突き始めたのには参った。それを見て俺は「やっぱりそういう事をやっちゃうのかー」と少々テンションが下がるのを感じた。原作にあるネタを数多く盛り込みさえすればファンサービスになるというような方向で製作されているのではないかと不安になったのだ。確かにこのシーンは原作に存在するが、あくまでも敗北したケンシロウを嬲るシーンとしてである。これを戦闘中にやってしまってはただの悪ふざけだ。もし、この技が二度、三度と連続で繰り出されることがあるなら、そこにはシリアスさの欠片すらなくなってしまうだろう。これは前述の北斗格ゲーの時にも感じたことだ。どこからともなく出現した椅子に相手を座らせた上で打ち据えるジャギの投げ技やコンボの度にサイで自分の足を貫くラオウなどは流石にギャグの世界だろう。
しかし、そういうのを盛り込んでしまう気持ちもわかる。そもそも北斗の拳は緻密な物語ではないし、シリアスとジョークの境目にあるような作品だ。更にそれが25年以上の歳月をかけてあらゆる形で消費され続けているのだ。もはやネタとして楽しむのが本流というのも充分に理解できる。だが、俺たちが半笑いだった時も北斗という物語自体は真顔を貫いていた。だからこそ面白かったのではないか。
いつぞやのコンビニ売りの北斗単行本において、各話の途中の穴埋めとして挿入された人物紹介が一昔前のテキストサイト的悪ふざけで登場人物を茶化すような内容だった為ガッカリしたことがある。たしかにコンビニ売りの単行本で初めて北斗を見るという人は少ないかもしれん。俺も愛蔵版にカラー版にフィギュア付き版と、何度目の北斗になるかわからん。だからといって本編の途中でそれをやっちゃだめだろうと。あくまでギャグの要素を孕んだシリアスである所を、それに関わる人が勝手にギャグとしてパッケージングしてしまったら駄目だろうと。北斗無双にも微かにその雰囲気を感じてしまったので、それが度を越したものになってしまってはいないだろうかというのが、俺の心配の種なのである。
あとは北斗というと後期における三兄弟の戦いや愛という言葉がクローズアップされがちなのだが、個人的に好きなのは、最愛のユリアを失って当てもなく彷徨うケンシロウの姿だ。後期北斗のように愛、愛と連呼することなく、それを行動で示すケンシロウこそ俺のヒーロー。後期は物語の中心に愛というテーマが据えられるのでケンシロウが口に出して「愛のために戦おう」などと言ってしまうが、これは少々野暮だと思っている。わかりやすいといえばわかりやすいし、物語としても華があるのでゲーム化の際などにはここら辺のエピソードがメインに据えられて、カーネル、ジャッカル、牙一族あたりは存在ごと削られてしまいがちなのだが、できれば北斗無双にはハードボイルドな立ち振る舞いの中に優しさを覗かせる初期型ケンシロウもしっかり描写してほしいものだと思った。

アプリと課金と死の商人

twitterのタイムラインで久しぶりに『しまにてぃ』という単語を見た。知らない方のために説明しておくと、かつて人気を博したブラウザゲームである箱庭諸島SNSを合体させたサイトのことだ。自分の土地を発展させながら、時には互いの島の発展のために協力、時にはミサイルを撃ちあって敵対するというこのゲームはSNSとの相性は悪くなかったかもしれない。しかし、丁度mixi全盛期であったためコミュニケーションの類はmixiで済ませてしまう人が多く、必然的に箱庭諸島一本が武器という厳しい戦いを強いられるしまにてぃ。流石にこれだけで生き残るのは困難を極め、サービスは短期間で終了する事となった。
しかし今、箱庭諸島mixiアプリに持ち込んだらきっと人気がでるよな。もしかしたら、ちょっとだけ遅すぎるかもしれないけど、少なくともサンシャイン牧場と同時期にスタートさせていたら一番人気も夢じゃなかった気がする。
そういえば、そのサンシャイン牧場が課金問題で荒れていると聞く。そんなことで荒れる人たちの気持ちは理解できんが、とにかくサービス提供者への不信感が高まっているらしい。いわれのない恨みだと無視しているわけにはいかない。mixiSNSなので1人の人間が止めれば、そのマイミクも離れていくということになりかねないのだ。この怒りの原因になっている事は色々あるようだが「サービス提供者の金儲けが許せん」という単純な理由が特に大きいようだ。
だが、mixiアプリ箱庭諸島をやるとしたらここら辺は簡単に解消できる。武器に課金するのだ。そして支払い先は『死の商人』だという事にする。発射した人間がわからないステルスミサイルが一発10円だとか、他人の島を破壊し続けるロボットが100円だとか。もちろん、それらの攻撃兵器を売りさばくと同時に、ミサイルを防ぐバリアがなども販売する。
もちろん不満はでるだろう。不満を持った人間はサポートコミュニティに書き込む。「死の商人がミサイルを売るのが許せません!」と。しかし、この正論過ぎる発言はサポートコミュニティで発言するにはあまりにも浮世離れしすぎた印象を与えてしまい、「そりゃ許せないけど……」と誰かが呟いたっきり話は終わりになってしまうだろう。仕方ないでしょう?死の商人なのだからー!ハッハッハ、エクセレント!(カイゼル髭を指でねじりながら)
このように、課金もロールプレイ的要素を一枚挟むだけで何となく許せてしまったりするのじゃないだろうか。最終的には死の商人が課金で集めた金を元手に最終兵器を開発して、全ユーザーに宣戦布告してきたりするといいんじゃなかろうか。そして結果的に全ユーザーの島が滅亡、「戦争は悲劇しか生まない……」みたいなメッセージ性だけを残しつつ、売り上げ抱えてサービスを終了すればいいんじゃないだろうか。

イナズマイレブン見てる2

26話まで視聴。大人計画の芝居で「どんなシーンでもスタンドバイミーをBGMにしておけば感動的に見える」みたいな台詞があったけど、アニメっつうもんは物語がクライマックスを迎えるタイミングで主題歌(ないし、そのインストバージョン)を流しておけば視聴者のテンションは上がりまくるようになってるよな。そういう意味で26話後半は実に良かった。
最近のスポーツ物だと敢えて主人公チームにトーナメント敗退を味わわせるという展開も珍しくないのだけれども、イナズマイレブンはストーリーの都合上、トーナメントでの敗北は許されない。それは背後にある巨悪との戦いに敗北するということになってしまうし、卑怯な手段を是とする相手チームを救う事ができないという事にも繫がってしまうからだ。これと同時に制約となってくるのが、雷門イレブンは「諦めない事が俺たちの必殺技」と宣言している点だ。そうすると作劇の都合上、必ず相手に先制点を許さなければいけないという制約を背負うことになる。一度劣勢にならなければ諦めずに追う立場になれないからだ
制約と言ったものの、これらは物語を盛り上げる要素なので、これがデメリットであるという話ではない。俺が視聴していて「これ、どうなるんだろー」とたびたび心配な気持ちになったのはサッカーに時間制限があるということに関係している。時間制限のあるゲームというものは、残り時間の都合上、逆転が絶対に不可能にな状態というのがどうしても生まれるものだ。そんな中、必ず先取点を許す宿命を背負った雷門イレブンはかなり厳しい戦いを強いられるのだが、これが相手の強さを示すために2点、3点と得点を重ねられてしまうと「いままで見てきた相手の実力も考慮すると、残り時間内での逆転は不可能なのではないだろうか」と気が気ではなくなるのだ。26話なんかは凄い緊迫感だった。この状態で勝つには豪炎寺が「シュートの衝撃波でサッカーのルールを変え、一回で10点を獲得してしまう新必殺技」とかを編み出しでもしない限り逆転は厳しいんじゃないかとすら思えた。しかし実際は円堂が一回シュートを止めることに成功してからは、距離も時間も関係なく雷門ストライカー陣がシュートを決めまくるシーンが4回出てきて大逆転。まさに超次元。このアニメは相手に精神を折った時点で勝利なので、あとのシーンはある意味消化試合みたいなもんなんだよな。ただ主人公がキーパーであるために止めた時点では話を終わらせられないというだけで。
最近のアニメや漫画ではスピード感が重要視されてるんじゃないかと思ってるんだけど、イナズマイレブンのスピード感は見ていて楽しかったな。集中力のない子供をテレビの前に繋ぎとめておくには常に物語が流れているというのは効果的だろうし。ただ、かなり愉快な設定が用意されてる敵チームの選手はもちろん、一部チームメイトですらあまりキャラクター的な掘り下げがないのがもったいなく思えた(マックスなんてサッカー未経験の生意気キャラという、いかにも一波乱起こしそうなキャラなのにほとんど空気……)。ただ、そこはゲームや関連書籍で補完してくださいということなのかなー。そもそもゲームの方が先に発売されてるわけだし。
まだまだ熱は冷めてないので、引き続き視聴を続けいていくつもりだが、前述の制約から物語がマンネリに突入するのではないかという心配と、ひょっとして今後のストーリーってDSソフトのイナズマイレブン2を同じだったりするのという心配がちらつく。アニメで既に放送された分と同じなのは当然だろうけど、その先はどうなるんだろ……。

イナズマイレブン見てる

そもそもはエンディングでBerryz工房のニューシングルが先行試聴できるらしいってことでイナズマイレブン2を遊んでたんだけど、ストーリー中に出てくる「洗脳なんてしなくたって楽しいサッカーはできるって証明してやろうぜ!」という歪な台詞や『野生中学のゴリラ選手』などといったあんまりな登場人物に心を動かされ、これは是非ともアニメの方も見たいと思ってレンタルショップに走ったんだけど、やっぱり子供達に大人気なようで常に貸し出し中なんだよな。で、ようやく返却されていたので手に取ったら、そばにいた子供が曇った顔で俺の方を見ていた。どうやら彼もイナズマイレブンが目当てらしい。スッと手を引っ込めると子供の顔はパッと輝く、再び手を伸ばすとまた曇る。こんなピュアな子から楽しみを奪うわけにはいかないので「タイトルが似てるんでブラックラグーンと間違えたわ……」と呟きながらDVDを棚に戻して撤退。更なる返却待ちで視聴は大幅に遅れた。
そういう経緯を経て、ようやく見始めたんだけど面白いわーコレ。今16話まで見たんだけど、9話あたりからは毎回号泣しながら見てる。歳をとると涙もろくなるのかなあ。これが今の子供達に人気なら日本は安心だわーって優しい気持ちで観賞してる。
今時珍しいぐらいにベタな熱血&友情はもちろん、次々と登場する怪必殺技も魅力の一つなんだけど、対帝国学園戦で登場した皇帝ペンギン2号というシュートはかなり振り切れてた。口笛とともにグラウンドから5体のペンギンが這い出してきて、ボールと共にゴールを襲うという技なんだけど、問題はその見た目の奇異さじゃなくて、なんでこんな技ができたのかに関する理由付けがない事なんだよな。百歩譲って使い手が北国出身だとかいうならアニメ的には充分な説明になるんだけど、そういうのすらなく「ゴッドハンド(主人公の必殺技)を破るために編み出した必殺技!」とか言って極めてシリアスに登場する。このペンギンが観客に見えてるものかどうかも気になるんだよね。染岡がドラゴンクラッシュを編み出した時は、チームメイトが「ドラゴンが見えた」みたいなことを言ってたけど、これは使い手の気迫が龍を幻視させたという類のものかもしれないし、そうでなくても気やオーラがドラゴンの形態をとるというのはアニメならば普通にあり得る事だ。しかし、どのような方向で修練を積み、どのような方向の気迫を見せればペンギンが5体見えるのかというのは謎だ。解説の人も「見た事もないシュートだ」としか言ってないので、ひょっとしたらあれは視聴者に向けた演出に過ぎず、実際に人の目に映る類のものではないという解釈もできそうかと思ったのだが、真相はわからん。
そう、だいたいの技においてそれが事実として起こってる事なのか演出としての表現なのかがわからんのが不思議な感じで楽しいんだよな。スポーツ漫画やアニメにおいて、高威力であるという表現の延長線上としてボールが炎を纏うなどというのは普通だし、高速移動の延長表現として分身や瞬間移動が出てくるのもよくあることだ。でもディフェンスの背後からせり出してきた壁にボールが阻まれるだとか、地を這うように蹴りだされたボールが土を巻き込んで巨大な土玉になりつつゴールへ向かうとかが、この世界に生きる人の目にどう見えているのかがわからんのだ。基本的なストーリーがシリアスだけに、この荒唐無稽さが引き起こす面白さが引き立つ。近年のアニメだと、たとえ子供向けであろうと、もう少しだけ合理的な説明をするだけの誠意を持った作品が多いと思うんだが、あえてそこをブッちぎってるのがイナズマイレブンなりの誠意だと受け取った。続きが楽しみすぎるので、次にレンタルショップで件の子供と遭遇した時は、悲しげな目を無視してレジに向かってしまうかもしれん。先に謝っておく。すまない、子供。

COBRAさんがかっこいい

コンビニ売りのコブラの単行本を読んでるんだが面白いなー。断片的な記憶はあるんだけど通して読んだ事はなかったので月に数回の発売日が楽しみで仕方ない。
しかし清々しいほどにコブラ中心の世界なんだよな。コブラのかっこよさを引き立てるためにのみ世界が存在しているかのような。でも、あらゆるご都合主義も「コブラさんほどの色男に運命の女神が惚れるのは当然」って感じで許せてしまう。
コブラ中心世界の非情さの一例として、情報提供者だとか道案内人として登場するチョイ役は、ほぼ確実に死ぬといいうのがある。コブラはより危険な方向に向かって進んでいく習性のある生き物なので、舞台は危険地帯へ危険地帯へと移って行くのだが、そこで道連れの非戦闘員が残っていると、彼または彼女が存在していることを考慮した上でコブラと敵の激戦を描かなくてはならなくなる。これは非常にめんどくさい。そこでとりあえずチョイ役を殺しておけばコブラを中心とした作劇がしやすくなり、話がスムーズに進むというわけだ。読み慣れてくると「こいつ死ぬな」ってのがだんだんわかるようになってくる。まあ、死ぬに賭けておけば高確率で正解を勝ち取れるという分のいい賭けなんだけど。
合理化だよね。皆の見たいものはコブラさんなんだから、余計な展開に無駄ゴマを割いてはいられないという。もう一つコブラの作中で多く見られるパターンとして、味方であるかに見えた女が実は敵ってのがあるんだけど、これも限られたページの中でより多くのアクションとお色気を盛り込むにはどうしたら良いかというのを考えた結果、「女の敵を出せば二つの要素を同時に出せる」って所に行き着いたんじゃないかなって気がするんだよね。
この漫画の人気投票を行ったとしたら、レディ、クリスタルボーイ、ドミニクあたりがそれなりの票を獲得する可能性はあるとしても、基本的にコブラ以外に投票のしようがないよな。ストーリーの軸がぶれないような漫画を描く方法として主人公に焦点を合わせ続けるというのは単純ながらも効果的な方法だと思ったが、最近のマンガでこの方法を取るのは危険というか編集者が許さない気がするよなー。もっとサブキャラを出せって言われそう(そして現代の空気を考えると、そっちの意見の方が正しい気もするし)。それだけにCOBRAという話は今読むと新鮮だ。

ポケモン主題歌のスピード感

レンタルショップの店内にアニソンユーロMIX的なものが流れておったんだけど、その中に収録されていた『めざせポケモンマスター』の歌詞にある「♪きたえたワザで勝ちまくり 仲間をふやして 次の町へ」というフレーズの、山賊や強盗を思わせるスピード感に耳を奪われた。なんか知らんけど途中経過の省略っぷりと、あまりにもハッキリした目的意識が男らしすぎるよなーと。「鍛えた技で勝ちまくり」と、いきなり勝ってる状態から話が始まり「仲間を増やして次の町へ」と負けた奴等が傘下に入ったら即、町をあとにするような弾丸ツアー感。
鍛えた技で勝ちまくるのも、それで仲間を増やすのも、次の町へ移動するのも、ポケモン世界の常識に照らし合わせればさほど変な話ではないのだけれど、アップテンポにリミックスされたことで聴き手の考える時間が奪われ、その高速無頼漢的イメージだけが脳内を駆け抜けていく。俺がこんな事を考えてしまうのにはおそらく理由があって、アニメのシンオウ編第1話で凄みのある笑みを浮かべつつ船でシンオウ地方に乗り込んでくるサトシからカタギじゃないオーラを感じたからだと思うんだよな。
それにしてもこの歌詞、脳内でリピート再生し続けたくなるテンポの良さだ。鍛えた技で勝ちまくり、仲間を増やして、次の町へ、鍛えた技で勝ちまくり、仲間を増やして、次の町へ……。暴力と略奪と逃走の無限連鎖。極上のピカレスクロマンの匂いがするぜ。