守れネットをその腕で

インターネットの可能性を強く信じ今日も自作のインターネット体操でインターネットパワーを鍛える俺。しかし俺よ、言わせてもらうが人間はまだインターネットを使いこなせるほど進化していない。能力に見合わぬ力を手にした者がどうなるかは知っているだろう。そう、破滅だよ。でもその破滅だってインターネット体操で防げちゃうんだよネー。だから俺は今日もインターネット体操を繰り返すんだ。あれっ!?足が動かない!
まあ、動かない足の事はどうでもいいとして、ネットにおける情報の発信って難しいよな。普段の会話では目の前にいる人間を不快にしないことを考えれば問題ないんだが、ネットに書く事はどんな人に届くのかわからない。聖徳太子は10人の言う事を1つの耳で聞き分けたというが、この場合は1つの口に10の耳。逆聖徳太子だ。逆聖徳太子とか言ったけど、1つの口で言った事が10人に聞こえるのはあたりまえであり別に逆聖徳とかじゃねえや。あれっ?あたりまえだった。当たり前なので問題なかった。どっかで問題を取り違えたかもしれないんだけど。
ああ、そうだそうだ。インターネット時代では「発信しない」という選択の重要さを考えていかないと駄目だと思うんだよね。あえて言わない態度。送信ボタンを押すだけの手軽さにまどわされず、発言するという事の意味を見つめ直す事。これからの時代、エントリを一個もあげてないにもかかわらずその物言わぬ美しさが称えられて有名になるブログが生まれるに違いない。なんと、その人はブログ開設以来、インターネットに接続すらしてないの。そういうのいいなー。何もしないで評価だけされたいなー。拍手の音に包まれて眠りたいなー。なんか真面目な話をしようとしたんだけど、思いつきをタイピングしてるうちに忘れちゃったー。まあいいや、とりあえずアップロードしておこーっと。

11人いる!

サッカーには興味のない俺だが、ベッカム強迫性障害であることを告白したニュースは気になった。
「ペアや偶数、直線でないとだめ。冷蔵庫に入っている飲み物の本数が奇数だと、1本を隠したくなる」という難儀な状況は、スポーツやるのに色々不都合はなかったのかなあと思ったが、少なくとも見ている人間にそれを感じさせない程度にはやれてたいたということか。
さっそく知人にベッカムの孤独な戦いについて語って聞かせると、彼は「サッカーって11人なんだけど、それは大丈夫なの?」と言った。
俺は虚をつかれたことで早口になり、「ベッカムの視点だと10人だろ?何も問題なんかないじゃないか」とまくしたてた。相手も「たしかに10人だよね。問題ないよね」と納得してくれた。しかしこの疑問は俺の中で静かに膨らんだ。
「サッカーは11人で1人みたいなもんだから大丈夫」という説も考えたが、1も奇数だったので駄目だった。いや、11で過不足ないワンセットだということだから問題ないのか。しかし誰か底意地の悪い人間がベッカムに対して11人というメンバー数の不安定さを毎日繰り返し語って聞かせたら彼のプレイにも影響が出るかもしれないなあ。そんな嫌な人が現れない事を祈るばかりです。地球はひとつ。サッカーは11人。