水中にて
7月の終わり。降り続いた雨がようやく止み、雲間から太陽が見え始めていた日、足早に橋の上を通り過ぎようとしていた俺は火野正平とすれ違った。
彼に妙な違和感を感じて振り返りまじまじとその姿を凝視すると、彼は水を吸ってぶくぶくと膨れ上がっており、インクが染み込んだような紫色の肌をしていた。俺がすれ違ったのは火野正平の水死体であったのだ。
それから林真理子の水死体、観月ありさの水死体、田村正和の水死体が俺の横をてくてくと通り過ぎたあたりで、俺はようやく知らぬ間に世界が水没してしまったことに気づき「やばいな」と呟いた。呟いたときに漏れたゴボッという音と空へ上っていく気泡に恐慌状態をひきおこした俺は、呆然と気泡を目で追い続けて危うく太陽に目を焼かれるところだった。
急ぎ足で家に戻ると、案の定、室内は天井まで水につかっており、ありとあらゆるものが台無しになっていた。もちろんPCもだ。これがしばらく日記を更新しなかった理由のひとつである。
ひとつであるというからには理由は他にもある。水の中をそれと知らずにうろうろしていたときに、小さな蟹が耳孔から侵入し耳の裏側の皮膚の下でおびただしい数に増えていたのだ。やむなく近所にある大きな病院を訪ねると、医者は「あぶないところだった」と言って麻酔や手術に関する同意書への記入を促し、書き終わるやいなや俺は即、手術室に運ばれた。局部麻酔によって痛みはなかったものの、耳のそばで自分の肉を切ったり縫いつけたりする音が聞こえ続けるのはなんとも恐ろしく、2時間の間、私は震え続けていた。手術室では松田聖子の曲のオルゴールバージョンが流されており、それは作業音の合間をすりぬけて俺の耳に届き、漠然とした不安を更に漠然としたものに変えていった。
手術が終わってロビーに移動した俺は、蟹どもに水分を持っていかれたせいか酷く喉が渇いていた。院内に自販機を見つけてコインを投入し何か甘いものはとボタンを睨むも、売られているのは全てボルビック。よく見れば白い自販機の横には青く大きなボルビックの文字。5階建ての病院全ての自販機がボルビック。水中で金を払って水を飲むなんて馬鹿げているなと思いながらペットボトルのキャップをひねると、視界が急にゆらりと揺れ、ボトルの中身はあたりの水に混じって流れ出ていった。
肩を落としながらソファーに腰かけて受付で名前を呼ばれるのを待っていると、目の前の女性が突然スッと手を上げた。俺は何事かと悩んだ。彼女の薬指にはめられたリングが浮き輪の役目を果たし、彼女の手を浮かび上がらせたのだろうか?辺りを見ると老若男女あらゆる人が手を挙げていた。俺は自分だけ膝の上に手を置いているのが恥ずかしくなって皆を真似て手を挙げようとしたのだが、急に恐ろしいほどの水圧がかかり俺の手はピクリとも動かなくなった。俺は苦しさと恥ずかしさで涙を流そうとしたが、その涙もあっというまに拡散し周囲に溶けていった。そこで俺は、今まで気づかなかっただけで自分は生まれながらにしてずっと溺れ続けていたことに気づいた。もう、そんな無様な毎日をウェブ上で綴り続ける気持ちなど起こるわけがない。俺は二度と日記を更新しないことを決めたのだった。
落ちた帽子との間合いを計る
病院から帰る途中。チャイルドシートに幼女を乗せて自転車をこぐ母親とすれ違った時、幼女のかぶっていた帽子が風にあおられて飛んだ。
無視して通り過ぎるには俺と帽子の距離が近すぎたのだが、俺が自転車を降りてまで帽子を拾うには母親と帽子の距離が近すぎる。
俺は決断し、自転車を降りて帽子へ手を伸ばした。しかしやはり帽子落下地点への到着は母親のほうが早く、彼女は俺の好意を無にしないためにわざと歩幅を狭め、手を伸ばす速度を遅らせ、俺に帽子を拾わせた。
俺が帽子を手渡すと母親はありがとうございますと言ってお辞儀をした。お互いに使わなくていいエネルギーを使ってしまったわけだが、これは無駄なことだったのだろうか。俺としては「まあ、無駄でもこういうのは大事よね」というところ。もしここで幼女が後ろを振り向いて無言で小さく手を振りでもすれば、俺の「こういうの大事よね論」は補強されたのだが、何故か幼女のとった行動は、帽子を掴んだ手を大きく後方に反らせてフリスビーの要領で俺の顔面めがけて帽子を投げつけるというものだった。