マッピングマッピー
- Nao_uの日記-世界樹の迷宮
http://game.g.hatena.ne.jp/Nao_u/20070127#p1
すべてを自動化することは簡単なのでわざわざ人間が手作業でやる必要なんて全くないはずなのに、1マスづつ地図を書き込んで埋めていく作業って、どうしてこんなに楽しいんだろう?
確実に結果に繋がる作業というのは楽しいものなので、確実に正解が存在するゲームのマッピングは楽しいもののはずなんだが、昨今の3Dダンジョンがオートマッピング必須な感じになっているところをみるとマッピングは面倒という意見の方が多いということだろうか。ちなみに俺も面倒だと思う。
いや、面倒というか、マッピングしながら遊ぶことの欠点はプレイのテンポが削がれることだろうな。まず画面から目を離してコントローラーを筆記具に持ち替えなくてはならない。更に方眼紙等を利用しているとしても定規を片手にきちんとした線を引くのにはそれなりに時間がかかる。これを頻繁に繰り返さなくてはならないのだから大変だ。それが世界樹の迷宮ではペンを右手に持ちつつ左手で操作するわけだし、マップを記入するのも画面内なので、視線の移動や道具の持ち替えの必要がない。おまけに引いた線は自動的に適切な長さの直線になるわけなのでストレスもない。戦闘中でもマップ画面に書き込みができるのもポイントだろう。ここで余計なステータス画面とかを表示させない点も良い。
でもWIZARDRYが登場したときは皆当たり前のようにマッピングを楽しんでいたわけだよな。これは思うにプレイヤーのコンピューターゲームに対する接し方が変わってきたということじゃないだろうか。当時はもっと「コンピューターから出された難題を解く」みたいなイメージが強かったんじゃないかということ。例えば頭の中だけでは解けないパズルに挑戦する時、たいていの人は紙と筆記具を使う。それを面倒だとは思わないだろう。「筆記具を持ってあれこれ書くのはパズル自体を楽しむことと直結しているけど、マッピングは攻略のためにゲームを中断して行うものだから、ちょっと意味合いが違うんじゃないか」という話になるかもしれんけど、昔はマッピングもゲームという体験の一部だと思えたんだろうという。ゲームが存在することが当たり前になりすぎたせいで、ゲームをプレイするということの儀式性が失われたのかもしれんよね。失った代わりに得たものもたくさんあるので何とも言えんのだけど。