ヌシとtwitter

スレ主、トピ主、うp主とインターネットには色んなヌシが存在する。先日、pixivにピク主というものが存在すると聞き、「いやいや、ピク主も何も、描かれた絵は個人の物だろう」と思ったら全然そんな意味で使われている単語ではなく、主従関係を題材にした創作イラストの総称だった。はやとちり。
そんなことを思ったのも、昔どこかのブログのコメント欄が(恐らくグーグルで特定の単語を検索すると上位に出てくる等の理由で)元エントリとズレた方向で異常なぐらい肥大化しているのを見たことがあったのだが、困った管理者が「あまりにも関係ない話題は控えてください」と注意したところ、続くコメントで「なに?おまえ、スレ主?」とか言われていて、ちょっと笑ってしまった……ということがあって。確かに超客観的に見ればブログは管理者以外にスレッド作成ができない掲示板という見方もできなくはない。いや、俺はそんな見方をされるのは勘弁だけどさ。
結局の所、インターネットコミュニティはヌシとヌシの下に集まる者たちで構成されてる場合が多い(まあ、トピック自体は内容説明に留まっていて、コメントを書き込む者同士の対等な交流で進行していくタイプの物も少なくないが)。そこで、こういうpostを見て、

twitterの主にオレはなる!と意気込んでみたものの、twitterにおいて何が主なのか見出すことができず、RT主とかふぁぼられ主とか小ぢんまりした物に落ち着いてしまう、そんなインターネッツ

http://twitter.com/whirlpool/status/3965881101

ヌシができないことがtwitterの人気の秘密なのかなーと思った(twitter有名人や常に話題の発信源となる人間はいるかもしれないが、彼らはヌシというのとはまた違う。)。twitterでは元発言者としての責任や負担は軽減されるし、その話題に乗っかる側も「誰かが作ったコミュニティに帰属している」というしがらみめいた気分も少なくなるだろう。責任については実際は軽減されてないのかもしれないが、全てのコメントを一望できない状態なので、精神的な負担は軽くなる。
だからといってtwitterがネットにおけるコミュニケーションツールとして最高だぜーという気持ちでもないんだよね。個人的にはもっと別のヌシを見てみたい気がするんよ。ハットリくんがケンイチの父親に対して行う呼びかけ「パパ上」に似たコミカルさがスレ主というフレーズの一番の価値だと思うので、単にバリエーションの増加だけでも構わない。そういう意味で『ピク主』には牢名主っぽい人がピクピク動く様子が想起されて、軽いときめきを覚えた。勘違いだったけど。