ベストバレンタイニスト

「私はバレンタインには良い思い出しかない!」というセンセーショナルな主張に、喫茶店で俯きながらDSを弄っていた俺は何事かと頭を持ち上げた。喫茶店の奥の方に視線をやると、そこには髪の長い女子高生が左の掌を拳骨で叩きながら、つれの女子高生に熱弁を振るう姿があった。「特に私の高校3年間におけるバレンタインはねー……」ここで彼女は一呼吸置いた後、吐き出すように「濃いよ?」と言い放ちつつ相手の顔をじっと睨んだ。
嬢ちゃん、興味深い話ではあるが、ちょいと声のトーンを落としちゃもらえんだろうか。いやいや、不快だったというわけではない。むしろ女子高生のコロコロした声で語られる恋の話は好もしいものだ。しかし故意でないとはいえ女子高生の色恋沙汰を盗み聞きする形になるのはなんともバツが悪い。
だが話の続きを聞くに、どうやら彼女はバレンタインをきっかけに恋が実ったなどということは全くないようなのであった。これには意表をつかれた。俺が思い描く充実とは大きく異なっていたからだ。
俺は「恋に恋する……か」と心の中で呟いた。まだ今年のバレンタインが訪れていないにもかかわらず「高校三年間における」などと今年のバレンタインの充実を確定させている彼女のバレンタインプロジェクトに興味を引かれてやまない俺だったが、ちょうどコーヒーを飲み終えたので仕方なく席を立つ。
考えたら、たしかに恋人がいると充実したバレンタインは送れないのかもしれんな。もちろん恋人と過ごす素敵なバレンタインもあるだろうが、彼女が語るバレンタインは物語の起点としてのバレンタインなのであろうし。
達成しないことで保つことができる物語もある。そう教えられた冬の午後であった。
いや、でもまあ、うまくいくといいね。

世界樹と階層世界

バカは高いところが好きというがオタは深いところが好きなものだ。縦軸の移動は人間をときめかせる何かがあるのだろうな。高いところはわかりやすい。動物の本能のようなものだろう。「拳法の闘いにおいて背後頭上を取られることはすなわち即、敗北を意味する」と猴拳、またの名を猿拳、その流れを汲む野猿牙殺拳の人も言っておった。深いところはなんだろうな、穴に潜ることで優位に立つ拳法とかがあれば説明がつくんだが。まあ、要は縦移動自体が日常的に行われるもんじゃないからだろうな。スペシャル感があるんだよ、縦には。
縦移動物語の中でも階層世界モノは良い。SaGa、サンサーラナーガ2、魔神英雄伝ワタル。階層の移動は世界を捨て去ることだ。いわば汽車にのって故郷を発つ寺山修司。それが幾度も繰り返されるのだからいわば連続寺山修司だ。そこには新たな世界へと飛び立つ高揚感と見慣れた地に別れを告げる寂しさがある。
世界樹の迷宮のプレイ中、行ける範囲のマップは埋め尽くし、取れるアイテムも全て取ってしまい、あとはボスに備えて経験値を上げ続けるだけの状況が結構長めに続いた時があった。ふと気付いたが、この状態だと世界樹の迷宮ならではの面白さって少ないんだよな。もちろんボスを倒せば新しい展開が待っている。しかし、いつかは階層世界の果てに至るまでの地図は描き尽くされ、このゲームならではの面白さは失われてしまう。ここら辺の妙な寂しさも物語とシンクロしている部分があるような気がする。
最深部まで辿り着いたらもう旅立つ先はない。そうなった時に目指すべきはどこなのかという話か。