ベストバレンタイニスト
「私はバレンタインには良い思い出しかない!」というセンセーショナルな主張に、喫茶店で俯きながらDSを弄っていた俺は何事かと頭を持ち上げた。喫茶店の奥の方に視線をやると、そこには髪の長い女子高生が左の掌を拳骨で叩きながら、つれの女子高生に熱弁を振るう姿があった。「特に私の高校3年間におけるバレンタインはねー……」ここで彼女は一呼吸置いた後、吐き出すように「濃いよ?」と言い放ちつつ相手の顔をじっと睨んだ。
嬢ちゃん、興味深い話ではあるが、ちょいと声のトーンを落としちゃもらえんだろうか。いやいや、不快だったというわけではない。むしろ女子高生のコロコロした声で語られる恋の話は好もしいものだ。しかし故意でないとはいえ女子高生の色恋沙汰を盗み聞きする形になるのはなんともバツが悪い。
だが話の続きを聞くに、どうやら彼女はバレンタインをきっかけに恋が実ったなどということは全くないようなのであった。これには意表をつかれた。俺が思い描く充実とは大きく異なっていたからだ。
俺は「恋に恋する……か」と心の中で呟いた。まだ今年のバレンタインが訪れていないにもかかわらず「高校三年間における」などと今年のバレンタインの充実を確定させている彼女のバレンタインプロジェクトに興味を引かれてやまない俺だったが、ちょうどコーヒーを飲み終えたので仕方なく席を立つ。
考えたら、たしかに恋人がいると充実したバレンタインは送れないのかもしれんな。もちろん恋人と過ごす素敵なバレンタインもあるだろうが、彼女が語るバレンタインは物語の起点としてのバレンタインなのであろうし。
達成しないことで保つことができる物語もある。そう教えられた冬の午後であった。
いや、でもまあ、うまくいくといいね。