やってること以上に楽しい問題

ゲーセンでカップルがプレイしてるのを後ろから見てすごいなと思ったのが、SEGA社の音ゲーであるシャカっとタンバリン。あるステージで、プレイヤーが曲にあわせて手に持ったタンバリンコントローラーを、1P側は下から左方向、2P側は下から右方向に動かして大きなハートマークを描くっていうのがあったんだが、あれはちょっと感激したな。やってることは指示通りに手を動かしてるだけなんだけど、ハートを描き終わった2人の手がハートマークの上部の窪みで止まる時、この人達は指示通りに手を動かしてる以上の楽しさを味わってたんじゃないかと思うのよ。
ネタとしては同じなんだけど、DSの押忍!闘え!応援団!でも同様にハートマークを描かせる面があって、これはタッチペン操作ということもあって妙に気分が高揚するんだよな。この高揚感のために、それまでのステージでは単純な直線や曲線しか描かせずにおくあたりが上手い。
この楽しさの理由はハートマークには意味が存在するから。音ゲーって要するにCPUの出す指示のスピードに操作スピードが着いてこれるかというだけなんだけど、操作する内容に意味があるだけで妙な面白みが生まれるわけだ。これは音ゲーの「反応する面白さ」を犠牲にしてるわけだから飛び道具的な面白さであるとは思うんだけど。
思えば格闘ゲームのコマンドもハートマークほど明確ではないにしても、その入力内容から構えをイメージさせるようなものがあった。これも意味を持たせることによって楽しさを増幅するケースなのかもしれん。これがブレイクスパイラルみたいな複雑なコマンドになってくると、「この世に超必殺技を発現させる秘密の儀式」のような意味あいがでてくるから面白いんじゃなかろうか。