最近見たもの、そして見たいと思う話

未来日記(8)
かつて書いたことがあるけど、俺がこの漫画に期待している事は、お互いが未来予知を利用して戦うという知力バトルものであるにもかかわらず、その能力が「未来予知で相手の移動経路が分かったんで、ちょっくら行って殴り殺してきます!」みたいな頭の悪い使用法をとられる所にある。3巻あたりで本気で頭脳バトルをやろうとして失敗していた以外、8巻+外伝は楽しく読めている。しかし過去にこの漫画を取り上げた時、「あんまり面白くなかったです」とか「普通でした」みたいなトラックバックが来たんだよねー。まあ、間違ってない。他の漫画と比較して目に見えて優れてる点とかあんまりないし。
俺が好ましいと思っている点は、その後の展開が遅くなりそうな要因が出てきたら「あー、あれ嘘でした」みたいな適当な処理をしてでもスピード感を優先してるというのが一つ。あと一つは作中人物の誰が死のうが別にどうでもいいあたりかなあ。終着駅の風景ぐらいは気になるけど、その過程で通りすぎる駅とかどうでもいいんですよみたいな。読者にとってどうでもいいキャラの死についてまで感動を押し付けてくるような作品が多い中、この淡白さは心地よいなあ。それでいて人の死を軽く描くことでメッセージ性を出そうというようなサブカル漫画的地獄に落ちてないあたりも。人が死んで主人公がワーッて泣いたりすることもあるけど、数ページ後には忘れてるような淡白さ。
この作品の売りであろうサイコヒロイン・由乃についてはわりとどうでもいいかも。今までにない斬新なヒロイン像を追い求めて異常な進化を繰り返したオタヒロイン業界において、斧で人命を奪うヒロインとか既にありがちになってるじゃろ。人気ヒロインの3人に1人ぐらいは斧持ってるじゃろ。……とかいいつつ7巻あたりから見せ始めた熱っぽさはかなり良い感じだと思ってる。俺はこれ面白いと思ってるよ。
けいおん!(アニメ)
こいつらが武道館のステージに立つかどうかという興味だけで最後まで見たい。興味というか期待というか熱望。俺としては武道館コンサートをやるかどうかで評価が180度変わると思う。これが『身の程を知ってる女子高生が身の丈にあった成功を収めた』って話で終わるならちょっとガッカリだなあ。文化祭で拍手されてハッピーエンドとかマジ勘弁っつう。彼女達は武道館でコンサートやっても物語上全然おかしくないわけじゃん。何故なら自分で「武道館コンサートやります」って言ったから。これは充分すぎるぐらいの理由になると思うよ。専門用語で伏線っていうんだけどさ。
最悪、エンディングテーマの時の映像が武道館とかそういうんでいいから、しょぼい着地だけはして欲しくないなあ。何のためにアニメでやってるんだよって話になるじゃん。
◆極悪ノ華 北斗の拳 ジャギ外伝 (上)
ジャギスピンオフをやると聞いて思ったのは「ジャギの言い分を描いちゃうのって結構まずいんじゃないかなー」ということだ。ジャギに同情する余地ができたらまずいじゃんという。まあ、正史に組み込まれるわけではないし、とっくに古典となった作品なんだし別に良いじゃんという思いも同じぐらいありつつ。
実際読んでみたら、子供ジャギが犬を助けたりヒロインに「ジャギくん頑張れー」みたいなことを言われたりとかしてて、「おいおい、そういうの止めろよー。これってどういう顔して読めばいいんだよ」と一瞬戸惑ったんだが、わりと福満しげゆきの『僕の小規模な失敗』と同じ感覚で読める事に気付いた。ただ、今『僕の小規模な失敗』を読む人が「この主人公はかわいい嫁さんをもらって小金持ちになる」という未来を知っているように、ジャギ外伝を読む人は「こいつ結局『ばわ!』とか言いながら死ぬんだよね」という揺るがない未来を知りつつページをめくることになるわけだ。この居心地の悪さがけっこう面白い。
この漫画で印象深かったのが幼女ユリア。原作で少年期のラオウケンシロウに出会った時のように胸元で鞠を構えているんだけど、こいつがずっとこのポーズのまま。このポーズのままジャギを突き飛ばして走っていったりするし、数日間ケンシロウを看病した描写のあともこのポーズ。等身大パネルが置いてあるかのような違和感。このポーズゆえにユリアが嘘臭い存在に見えるのは狙った演出だと思うんだよね。ジャギ世界におけるユリアはそれぐらい現実感のない存在だという。原作のキーパーソンであるユリアの存在が希薄な世界というのは間違いなく傍流の世界なわけで、このユリアの佇まいは見てるだけで寂しくなる。
この漫画もスピード感が良い効果をあげてると思うんだよねえ。本気と洒落の狭間でフラフラしてるような危うさは原作どおりなんだけど、どっちかに傾いて倒れてしまう前にさっさと前に進んじゃうような感じ。たぶんこの調子で下巻も駆け抜けていってくれるんじゃないかなあ。