お水ごくごくマン
炎天下の往来をノロノロと歩いていたら見知らぬ幼児がやって来て、俺に話しかけた。見知らぬ子にいきなり話しかけられること自体珍しいことなのだが、その語りだしが「お水ごくごくマン……」だったから俺も面食らった。どのような反応をするかは続くフレーズを吟味してからにしようと判断したのは自分としても冷静だったと思うが、そんな俺を襲ったのは完全なる沈黙だった。仕方なく「お水ごくごくマンがどうしたんだい?」と問い返したが、幼児は無言で俺を見つめるばかり。
他者に対して「お水ごくごくマン」と言うだけで会話が成立するケースがあるとすれば、それは相手、すなわち俺がお水ごくごくマンだった場合ぐらいだと思うのだが、その時の俺にお水ごくごくマン的な要素は全く無かった。ミネラルウォーターの入ったペットボトルを握っていただとか、肩掛けの水筒をぶら提げていただとか、水分補給なら任せておけ的な様子は微塵もなく、それどころか全身に汗をつたわせた姿は、どちらかといえば水分を失っている側の人間であるように見えたはずだ。俺は悩んだ末に「それは僕のことかい?」と問いかけた。幼児がピクリと動いたので何らかの返事が期待できるものだと思ったのも束の間、それは俺に背を向けて全力で走り去るための予備動作にすぎなかった。みるみる小さくなっていく幼児。立ち尽くすお水ごくごくマン(なのか?俺が?わからない)。
そして帰宅した俺はインターネットで『お水ごくごくマン』『おみずゴクゴクマン』などと微妙に言葉を変えながら検索を繰り返しているのであった。もちろん、何の手がかりも見つからない。例のパンを胴体に乗っけたヒーローの仲間だったりするのかもしれんと思ったのだが、奴の交友関係にそんな名の男はいないようだ。よくよく考えれば聞き間違いだった可能性もあるのだが、幼児にしては妙にハッキリした発声が印象深かったので、間違いだとは思えない……いや、どうだろう。もう今となっては事実がどうなんてわからないしなあ。…とまあ、何の答えも提示されぬまま、この話は終わりだ。些細も些細、すぐにでも忘れてかまわないぐらいどうでもよい話のはずなのだが、何故かさっきからずっとモヤモヤした気持ちが晴れない。あの時、ペットボトルを持ち歩いてさえいれば幼児の本当の意図はどうであれ、「ああ。ペットボトルで水を飲んでいる俺の事をお水ごくごくマンと呼んだのだな」と納得することができたのに。あの時ペットボトルの水を持ち歩いてさえいたらなあ。