フレンドシップとベイビリティ

カレー屋で後方の席にいる二人組の男が大声で話をしておった。
大声であるにもかかわらずくぐもった声で語られるのは若者への憎悪であった。ティーン達の知性を、服装を、言動を恨みがましい調子で罵倒し続けるのを聞いていると俺の心は荒み、口の中の飯はどんどん味を失っていった。
「要するにあいつらは軽薄な結びつきしかなく真の友情を知ることもなく死んでいくアホどもである」というのが二人組の言い分であるようだった。
彼らがどんな思想を持っていようと俺には関係ないのだが、いささか品のないまでの大声で我が食事を邪魔されてはかなわん。徐々に味を失いつつある食事は、多めの水で3倍ほど薄めたかのようになり始めている。これは一刻もはやく注意せねばなるまい。
俺は後方に体を捻って愕然とした。若者を憎む二人組が中年男性ではなく大学生ぐらいの年齢だったからだ。一人は小太りでもう一人は痩せていたが、二人とも黒ぶちの眼鏡をかけ、揃って不満そうに唇を尖らせていた。
注意することなど忘れて我が身を飲み込もうとする暗黒の瘴気に呻く俺。口の中は既に砂でも噛んでいるような具合の無味。
そして捻った体をゆっくりと正面に戻しながら、「あの二人は『真の友情』というもので結ばれているのか」と考えた途端に、ついに飯は完全に味を失い、口の中はスプーンの鉄の味だけで満たされた。
俺は皿に跳びこみそうなぐらいに頭を垂れ、背骨を折らんばかりに圧し掛かる憂鬱に耐えながら「酸っぱい葡萄でも味があるだけマシではないだろうか」などということを考え続けるのだった。

キアヌはゲイじゃないし ここは警察じゃないよ

  • 私がキアヌを好きなワケ

http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20060903/1157245713

インタビュアー

「キアヌ、君はゲイであるという噂もあるし、バイセクシャルであるとも言われている。本当のところは、どうなんだい?」


キアヌ

「ぼくがその噂を否定するのは簡単だ。けれどそんなことをすれば、ぼくはゲイやバイセクシャルの人間であると思われたくないということになるだろう? それはひとつの差別意識の表れだよね。ゲイだと思うなんて酷い、バイセクシャルの人間だと決めつけるなんて失礼だ、とそんな風に考えること自体が、実はひどく差別的なんだから。セクシャリティにかかわらず、ぼくはぼくだよ。ぼくの役者としての評価は、セクシャリティとは無関係だ。だからその質問に対する答えはたった一つ、『ノーコメント』だよ

なるほど。有名人としてはかなりスマートな対応でありキアヌに缶コーヒーの1本もおごってやりたくなる話だ。あいつ缶コーヒー好きそうな顔してるしな。
んでも、その一方で事実でないことは訂正した方が起こりうる面倒や混乱を避けることができるとか、事実でないことを思われたくないのはわりと普通の欲求じゃないかしらという話もあるよなー。
例えば全くそんな事実はないにもかかわらず「君の実家って蕎麦屋なんだって?」と聞かれたら「うちは蕎麦屋じゃありませんよ」と返事をするであろ?ゲイに差別意識がないなら、在りもせぬ蕎麦屋疑惑をかけられた時と同様に「や、違うんやけど」と対応して良い気がしないでもない。
いやまあ、微妙か。事実世間にゲイに対する差別は存在しているが、蕎麦屋であるというだけで棒で打ち据えられるようなことってないもんな。
キアヌが過度に気をまわして「バイだけど?」って言っちゃったらどうだろうなあ。バイなら異性愛も可なのでキアヌ自身の立場としては偏見を受ける可能性がある以外に別段問題はないし、キアヌはその男前っぷりから「偏見ウェルカム」の姿勢をとっておるのでそれすら問題ではない。問題があるとしたらなんでキアヌが嘘をつかなきゃならないのかということぐらい。
……無難かな。ノーコメント。
でも否定するのも決して差別じゃないよなーみたいな話ことを思った。
まあ、この話で評価されるべきはキアヌの優しさと同時に機知だし、広く世間に向けて自分の性的嗜好を公開せねばならぬような機会がないであろう我々には、もっと別の対応が要求されるんであろうな。「その噂流したの誰?」とか。