モンゴル大学

飯野賢治エネミーゼロ発売時に言っていた「デジタルの悲しみ」というキーワード。ファミ通のインタビューで挙げていた例は「間違い電話をきっかけに知らない相手と意気投合したんだけど、会話が盛り上がってる最中に間違ってその電話を切ってしまった。そしたら相手とは二度とコンタクトがとれない」というものだった。それは悲しいかもしれんが、まあデジタルに限った話じゃないよね。
関係ないのかあるのかわからん話だけど、数年前にクラブで気になる曲がかかってた時、DJをやってた女の子に「これって何て曲?」って問うたら、騒音の隙間から「SUIKEN(って言ってたような気がする)のナントカカントカ(不明瞭だった)モンゴル大学(そう聞こえた)という曲です」というような返事が聞こえた。その子とは友達の友達ぐらいの間柄だったので、今度どっかで会った時に聞き直せばいいやと思ってたんだが、俺がだんだんその手のイベントに行かなくなったために、その子と会うことは二度となかった。おかげでその曲が何という曲なのかはいまだにわからない。「モンゴル大学主席で卒業」というリリックがあった気がする。いや、聞き間違いだよな。そんなラップないだろう。
あれから8年経った。まだ正解はわからない。これもデジタルの悲しみってことで良いだろうか。ああ、デジタル要素全くないか。じゃあモンゴルの悲しみとかで良いだろうか。

ゲーム コミック 経験値

三条陸稲田浩司のダイ大冒険コンビによる短編・ドラゴンクエスト4外伝 地獄の迷宮において気になる箇所があった。この漫画で描かれる世界には経験値(とレベル)というものが存在する。主人公は幾多の実戦をくぐりぬけているにもかかわらずレベルが低いのだが、それは敵にとどめを刺さないため経験値がもらえないからだという。しかしレベルの低いはずの主人公は物語の終盤で強大なモンスターを軽々と倒してしまう。その理由は「戦いの中で経験をつんでいるからモンスター達の弱点を見抜くことができる」というものなのだ。要するに、この世界には「経験」と「経験値」が同時に存在するということらしい。そしてサブキャラの少女が「こいつは私よりレベルが低いのになんで強いのだろう?」という疑問に自力で答えを出せないあたりをみるに、どうやらこの世界での重要度は 経験値>経験 ということなのだろう。ゲームをコミック化するにあたって、この開き直り方は面白いかなと思った。経験の重要性を理解できるのが主人公(プレイヤー)だけというあたりもコンピューターRPG的で。そういえばダイの大冒険でも「知らなかったのか…?大魔王からは逃げられない」というメタな名台詞があったっけ。
他にコミック化にあたっての開き直りといえば、ゲーメストに掲載されてた鉄拳漫画の「あれはガード不能技!」だとかアニメ版バーチャファイターの「人は彼等をバーチャファイターと呼ぶ」みたいな天然かつ投げやり系ぐらいしか思いつかないのだけど、こんな感じでうまく開き直ってるものがあったら読んでみたいなと思った。

機神幻想アイドルマスカー

http://sunrise-inc.co.jp/idolmaster/home.html
聖羅V!聖羅Vじゃないか!
卒業〜Graduation〜のキャラがロボットに乗って戦うという混沌の再来を2007年の今になって見ることができようとは……。人気作に更に人気要素を加えればファン層を拡大できるだろうというタイプの融合は、生まれてはいけない子を世に送り出しがちだよなあ。個人的にはこの手の突然変異があってこそのオタ世界だと思うのだが、ファンにしてみればたまったものではないのだろうな。どうせたまったもんじゃないんだから、もう一段階カオスの度合いを強めてはどうだろう。すなわち春香や千早の形をした巨大ロボットにオタが乗り込むという設定。1プレイ200円/3プレイ500円の料金を投入することでロボットが動くのだ。ちなみに操縦者はマネージャーと呼ばれる。オタ文化はすでにARIELを通過してきてるから少女型巨大ロボぐらい余裕で許容範囲だろうし、いけるんじゃないかな。巨大ロボとパイロットの恋とか超見たいんですけど。