ボウ アンド ボーン

全身の関節に違和感がある。錆びた。シャワー浴びたあと体も拭かずぼんやりしていたのが悪かったらしい。骨と肉の間にごわごわとした感触がある。これはもう骨が錆びてしまったとしか思えん。そんなことを考えていたら懐かしい記憶が蘇ってきたので指の骨をキシキシ言わせながら書くことにする。
子供の頃、父親と2人でNHKで現代芸術の番組を見ていた時のこと。画面には陶器製の……茶色い棒としか表現できないものが映っていた。「これの何が良いのかわからない」と俺が言いかけたとき、司会者の男がフゴッとか鼻を鳴らしつつ「これを見たときにですね!私は自分の中の骨を取り出して見せられたような衝撃を受けました!」と感極まった調子で語りだした。子供だった俺は「芸術とは茶色い棒からそこまで読み取らなければならないのか」と驚愕したのだけれども、それを見ていた父親が「俺、作者と会った事あるんだけどさ。これって錆びた棒のつもりで作ったって言ってた」と言うのを聞いて「芸術評論に必要なのは自分の骨を錆びた棒だと言う謙虚さ」ということを理解した。理解したっつうか、おっさん嘘つきだわって思ってたんだけど、今この瞬間の気分としてはおっさん全然間違ってないな。俺の体を支えてるのは錆びた棒だ。しかし作者の人もなんで陶器で錆びた棒を作ろうとしたかね。鉄で作ればいいじゃん。まあ、その回りくどさが芸術なのか。いや、それを言うなら、そもそも作ろうとすること自体がまわりくどい。作らずとも錆びた棒は我々の内側にある。