大統領のヘルメット、血染めのSマーク
大統領のヘルメットという話がある。岡田斗司夫がTVブロスでの連載において「映画『インディペンデス・デイ』で、戦闘機に乗り込もうとする大統領が押入れから銀のヘルメットを取り出してくるシーンが抱腹絶倒モノだった」と語るも、実際にはそんなシーンは影も形も存在しなかったという話だ。「面白かった」という感想が一人歩きし、その感想に見合うだけのおもしろシーンを脳が捏造してしまったのだろう。長い年月を経て記憶が歪むことはよくあるものだが、この例のように、ついこの間見た物に関する記憶が書き換わってしまうのだから人間の脳は面白いものだなと思う。
ついこの間、俺もヘルメットを見た。その話をしようと思う。それは映画『ウォッチメン』の予告トレーラーを見ていた時のことだった。俺はこの映画の内容を一切知らず、ただDCコミックから原作本が出ているということだけが予備知識としてあった。そのせいでトレーラーに映るナイトオウルをバットマンだと誤認してしまったのだが、これは無理もないことだと思う。なにせナイトオウルが映るのは殴り飛ばされてカメラに背を向けた状態のまま吹き飛ぶワンカットだけなのだから、原作に比べてくすんだ色をしたフクロウのコスチュームをコウモリと見間違えたとしても仕方のないことであろう。
しかし俺はこの後に衝撃的なシーンを目にする。ソファに深々と腰掛けた男。くつろいでいるのではない。彼の胸にはナイフが深々と突き立てられている。雷光が亡骸を照らす。胸に見えるのは血染めのSマーク。青いコスチュームに赤いマントのその男はスーパーマンなのだ。あのスーパーマンが何者かに殺害されている!
映画『ウォッチメン』に登場するのはオリジナルのヒーロー達なのでスーパーマンなど登場するわけがない。しかし俺はどういうことか知らないがスーパーマンの死体を見てしまったのだ。核爆発に耐えるスーパーマンをナイフで一突きにする存在に俺は震えた。ここで俺の耳に「映画は原作を読んでいないと理解が難しいらしい」という情報が入ってくる。俺は「ははあ。これはかなりメタな要素を含むストーリーに違いないな。スーパーマンの鋼鉄の肉体をナイフが貫くというありえない事態は、三次元的な説明では説明できるはずがない」と考えた。
俺は慌てて原作コミックを買いに走り、一息に読んだあと首をかしげ、納得いかずに今度は映画館に走り、そして再び首をかしげ、首をかしげた姿勢のまま現在に至る。見間違いというレベルでは済まされない記憶の捏造に我ながら自分の脳が心配になる。俺が見たのは何だったんだ。「誰がスーパーマンを殺したの?」という俺の問いに対して、マザーグースのように「わたし」と答える声はない。誰も殺していないスーパーマンの死を、俺だけが見ていた。