おまんじゅうはありますか?

買い物帰りの俺の横を走り抜けていった子供は、さきほど通り過ぎたまんじゅう屋に駆け込んでいったようだ。『ようだ』というのは後ろを振り向いて確認するほど子供の行き先に興味がなかった俺は、彼の足音が我が背後で減速しつつ何処かへ消えたことからそう判断したという事だ。しかし、まんじゅう屋に入った子供が元気よく「おまんじゅうはありますか?」と叫んだ瞬間、俺は思わず振り返った。いや、あるだろう。ないわけがない。むしろ、そのためだけに存在している建物だぞ、おまんじゅう屋さんは。
まあ、会話を円滑にするために分かりきったことを聞くのはおかしなことではないからな。例えば「くださいな」と言いながらお店に入った時、店主が「お断りだ」と答える事はないだろう。「はいはい、何にいたしましょう」とでも返事をして、それに対して客が「じゃあ、○○をください」とでも答える。これで取引はスムーズに進むというわけだ。
しかし、饅頭しか置いてない店で「おまんじゅうはありますか?」とは、なかなかエキセントリックな質問ではあるよな。いや、待てよ?しかも、あの手の店は店内に入った途端にショーケースに入った饅頭が並んでいる様子が視界に飛び込んでくるのではないか。すると子供は饅頭を目の前にしながら「おまんじゅうはありますか?」と問うた事になる。どうしたんだ、子供。目深に被りすぎたキャップのつばが視界を覆いでもしたのか。
……いや、饅頭が目の前にある事が一目瞭然だった以上、子供が聞きたかったのは「(僕に売ってもらえる)おまんじゅうはありますか?」ということだったのかもしれんな。考えて見れば、大人になってからの自分の事を考えると眼前の陳列棚には明らかに色々な種類の饅頭が並んでいるのに「おまんじゅうはありますか?」と質問してみたら「お前に売るような饅頭はないよ」という冷たい返事が返ってくるようなケースが多々あったような気がする。饅頭は存在するからといって、饅頭を買う権利が存在するとは限らんのだ。子供ながらにして少し大人びた印象のあった彼は、この世の悲しさを一足先に知っていたのかもしれない。
俺は子供が饅頭を買うことができたのかどうかが気になったのと、久しぶりに甘いものが食べたくなった事から、もと来た道を引き返してまんじゅう屋に立ち寄ろうかと思ったが、少し悩んだあとまっすぐに帰路につく事にした。なんとなく、俺には饅頭を売ってもらえないんじゃないかという気がしてきたからだ。