ラオウの息子・リュウの母親は誰なのか

原作者である武論尊がインタビューで語った内容によると「自分の中ではユリアのつもりだったが、それだとラオウがユリアをレイプしたことになるので描けなかった」ということなのだが、個人的にはユリアで良いんじゃないかと思う。合意の上ってことで。
といっても話の筋を追うにラオウとユリアが子供を作る暇はなかったように思えるんだが、まあ、そこはパス(一番重要な部分をパスできるのが北斗のすごいところ)して考えよう。作者がユリアの予定だったと言ってるんだし。


ユリアはケンシロウラオウをはじめ、トキ、シン、ジュウザと幾人もの男の心を奪っているのだが、どうも読者にはその魅力が伝わってこない。読み手の立場だと、大抵の人はマミヤの方を魅力的だと思うのではなかろうか。
ひたすら聖女として描かれているだけでなく、物語を動かすためだけに存在しているユリア(ついには物語のために転落死から蘇生までしてしまった!)、彼女にとって愛とは殉ずるもの。そこには宗教的な信念や過剰な責任感しか感じ取れず、まるでロマンチックに見えない。
だが、これがラオウの不器用な愛に心を打たれて一度だけ心を許したとなれば、グッとユリアが人間味溢れるように見えてこないだろうか。
かつて感情を失っていた幼年期のユリアを救ったのは(リュウケンの言葉によれば)ケンシロウだけでなくラオウの力でもあるのだ。その前後のラオウの様子を見るに、初めて会ったときからユリアに何らかの感情を抱いていたように思える(ラオウ曰く、あの日からケンシロウとの戦いは始まっていた ということなので間違いないだろう)。その頃からの長きにわたるラオウの悲恋が、ただの一瞬だけでも実っていたとしたら、これほど素晴らしいことはないと思う。
更に息子の名を、師父リュウケンの名を取って"リュウ"と名付けたのであったとしたら、ラオウは死ぬ直前に、かつて捨て去ったあらゆる人間愛を取り戻していたことになる。
この妄想をベースに読むと「我が生涯に一片の悔いなし」が2倍泣けると思うのだが如何か?


問題は2006年公開の 北斗の拳ラオウ外伝」純愛編 に柴咲コウが演じるレイナというキャラが出ることだ。わざわざ北条司にキャラクターデザインをさせていることや、純愛編というサブタイトルからして、こいつがリュウの母親だと断言される可能性大。
後付けの設定で話が台無しになるのはある意味北斗名物なのだが、だとしてもこの砦は守って欲しいものだ。今はそのことが阿部寛ケンシロウを演じることより心配ですワイ。