ゲームと不親切 その1

前も似たようなことを書いたけど、ゲームってエンディングの存在が約束されてるから不安がないよなあ。俺が魔物巣食う迷路に閉じ込められたとして、一番不安なのって本当に出口があるかどうかだもの。「俺、脱出に向けて精一杯努力しますけど、これって報われるんですか?」っつうね。でもまあ言ってみれば未来が事前にわからんというのはあたりまえのことなわけだから別にわかんなくて良いはずなんだけどな。要するにエンターテイメントを提供して欲しくて金と時間を費やしてるんだから理不尽は勘弁してくれっつうことか。
この場合、理不尽の被害を被るのがプレイヤー自身ってのがいかんわけよね。我々は物語内の話であれば人の死すら楽しめるからこそ金払ってまで悲劇を見たいと思うわけなんだけど、これが自分自身の身に降りかかってくることとなると擦り傷だって御免だと思うのが普通だろう。プレイにまつわるストレスはよく「不親切」という言葉を使って糾弾されている。楽しみの部分に没頭したいから、それ以外の余計な手間はなるだけ省いてくれというのは普通の要求よな。
しかし、無駄な作業が楽しいこともあるし、「何をしていいかわからない」と「自由度が高い」は紙一重だったりするわけだ。じゃあ、不親切をゲームの楽しさとして組み込んでいくことはできないものか。
そういえばドラゴンクエストVの奴隷シーンは惜しかったな。
刺激も楽しさもない無駄な時間はゲームにおいて否定されるべき要素であるにもかかわらず文句がつけられん。だって奴隷だから仕方ないもん。あれがもっと長時間にわたって続いてプレイヤーが不安を感じるまでになったら、脱出後に続く冒険への大きなモチベーションになったと思うんだけどなあ。
事実あのシーンは本来なら何日も続く予定だったと聞く。しかしデバッガーから「つまらない」と不満が出たために削られたということらしい。ものすごく残念な話だがそこは国民的人気ソフト。最大公約数的な面白さが要求されるのは仕方のないことか。「魔王たおすぞー」って気持ちでドラクエ買った子供達が何時間も黙々と石を押し続けてるところ想像すると最高に楽しい気持ちになるんだがなあ。「まさか一生このままでは」という不安は持たないまでも、「僕は何か間違ったルートを選択してしまったんじゃないのか?最初からやりなおすしかないんじゃないのか?」みたいな不安を抱きながら石を押し続けさせたら大成功だよな。ゲームでそんな不安になれることなんてそうそうないもん。その後フィールド画面に出たあとの開放感とかすげえだろうなあ。「空が青い!」みたいな気持ちになると思う。空なんか画面に表示されてないのに。
まあ、不親切をタメとして使うってのはあるな。だいたいキャラがパワーアップするゲームというのは、逆に言えばパワーアップしてないときは不自由な状態で戦わされてるってわけだし。あれは別に不親切じゃないけど。