やっちゃいけないゲーム

ゲームが!俺に!命令する!ある時は竜を倒せと、ある時は捕虜を奪還せよと、ある時は格闘技大会で優勝せよと、ある時は迷路に散らばった餌を1つ残さず噛み砕けと。基本的にゲームには勝利条件が定められているので、それに向けてボタンを叩いたりレバーを回したりするもんなのだが、それらのソフトに対するカウンターとして『やらなくていいゲーム』に分類される、環境ソフト的な、自由度の高い、ライトゲーマーに優しい、そしてただひたすら眠たいゲーム群が次々と製作された時期があった。しかしよく考えれば『やれ!と命令されるゲーム』の対極は『やらなくていいゲーム』ではなく『やるな!と言われるゲーム』ではなかろうか。つまりはコントローラーを使った操作を行わないことで勝利条件を満たすことのできるゲームだ。しかし、このジャンルのゲームが製作されたとして真っ先に想像できる欠点は全く面白くないことだろう。もはやゲームであるかどうかも怪しい。サウンドノベル的なものでさえページを読み進める際にボタン入力を要求することで辛うじてプレイヤーの存在意義というものを保っているのだが、流石に全くコントローラーに触らないことで勝利条件が自動的に達成されるものをゲームと呼んでいいのかは大いに疑問だ。それは単なる映像作品じゃないのか。ということで敗北条件を考えることでゲームらしさをアップさせてみようとするならば、これはもちろん『コントローラーに触ったら負け』以外にないわけだが、これでゲーム性が生まれたかというとやはり疑問符がつく。そのルールでコントローラーに触る人間などいるわけがないからである。すると、いかにしてプレイヤーにコントローラーを触らせるかが焦点になるわけだが、こういうのはどうだろう。「では『これでゲームを終了します』という表示がでるまでコントローラーに触らないでください」という命令がコンピューターから下されて数分後に『ゲーム終了』の表示が出現する。そこでコントローラーを握るとアウト。あくまでもゲームは『ゲームを終了します』と共に終了するのであって『ゲーム終了』は競技の終了を告げる合図ではないからである…って幼稚園とかでやりそうな室内遊戯っぽくなってしまったが、これを聖書におけるロトの家族だとかギリシャ神話におけるオルフェウスの話のように「出口に着くまでに振り向いたら負け」と組み合わせてゲームにできないものかなあと思った。しかしこの物語に登場する当事者ならともかく、この手の話のバリエーションに慣れきった我々が振り向くようなことってあるのだろうか。この手の話も最初は「気になるので振り向いてしまった」程度のオチで許されてるものの、後に生まれたバリエーションだと「知人にそっくりな声で試練の終了を告げる声がしたので振り向いてしまった」だとか「試練の終了を告げる朝日が射し込んできたと思ったら、それは本当の朝日ではなく悪鬼の罠であった」などの高度なフェイントで難度が格段にアップしている。だが高度とはいえ、この話を知っている人間にはどうということもないトラップだ。もしこの手の話をゲームにするならば精神力ゲージの増減を操作するシミュレーション的なものに落ち着いてしまうのだろうなー。
しかしこれを書いているうちに「振り向いてはいけない!」と命令されたい欲求がどんどん強まってきたんだが、なんとかならないものか。そして思わず振り向いた後に「しまった…」と呻くことができるような斬新な罠にかかりたい気持ちが強まってきたんだがなんとかならないものか。反復して遊べるようなシステムでもないし、やるならばアミューズメントパークのアトラクションあたりに落ち着いてしまうのだろうか。でも、どう考えても振り向かないよなー。あ、入場者の過去が事前に調べ上げられていて、昔の彼女にそっくりな声で「あれ?○○君だよね?」ってやられたら振り向きそうだな。現実問題としてそんなトラップは不可能なんだが、これは絶対ひっかかるよな。振り向いた先にボーッと幽鬼のような顔が浮かんで「振り向いてしまいましたね…」とか言われたらウワーッやられたーってなりそうだ。もうちょっと実現可能なラインを考えてみると、急にアトラクション内の電源が点いて、場内アナウンスで「当アトラクション内で火災が発生しました。速やかに後方の非常口より退出してください」というアナウンスがなされる。思わず振り向くと…ってこれはこれで大問題だな。しかしこれもまた心地よい敗北感を提供してくれるんじゃないかなー。振り向いたら負けという非現実の中で有効な攻撃手段は、急に現実が介入してくることだと思うんだよね。こういう体験してみたいなー。なんとかならないかなー。ならないよなー。振り向くなって言われたいなー、アムロのように。そしてムーミンのようにこっち向いてとも言われたいなー。そしてアムロは逃げ切り、ムーミンは冥界の囚われ人となる。ゲームオーバー。