Berryz工房と面影ラッキーホール

加護にカヴァーして欲しい面影ラッキーホールの曲は『好きな男の名前 腕にコンパスの針でかいた』で、辻にカヴァーして欲しい面影ラッキーホールの曲は『パチンコ行ってる間に生まれたばかりの娘を車の中で死なせた...夏』ですかね。単なるジョークというだけでなく、意外と2人ともハマるんじゃないかという気がするんですよ。加護は上手いこと雰囲気だけで持っていってくれそうだし、辻は陰惨な歌詞を朗々と歌い上げてくれそうだし。
で、最近iPodに入れてる曲はBerryz工房面影ラッキーホールだけなんですけど、この2組の歌ってどことなく似てる部分がある気がするんですよね。それは曲に登場する女性の刹那的な所だったり、そうかと思えばどこか達観している所だったり、そのくせに正しい行動を選ぶ判断力に欠けていたりだとか、そういう部分ですね。Berryzの世界の十年後ぐらいが面ラホみたいな。いや、それはないですけど。
しかし、なんなんですかね。同じように刹那的であっても、刹那的な少女がひたすら美しく描かれるのに大して、いい歳した女性が刹那的だと物悲しくなってしまうのは何故なんですかね。単に歌のジャンルが違うだけだろって話もありますけど、それだけじゃない何かがありそうな気がするんですよ。Berryzの方は一度や二度の失敗をも恐れる必要がない若さの力があるんですけれど、面ラホの世界は若さに任せて失敗し続けてゲームに例えるなら残機は1機のみという感じだからなのでしょうか。ただ、残機が何機あろうが死は死にかわりないわけで、そこから漂う寂しさは程度や質の違いこそあれ、俺の胸を締めつけるのですよ。
Berryz工房の『スッペシャルジェネレ〜ション』の歌詞で「池袋過ぎたって この愛はえ・い・え・ん」というフレーズがあるんですけど、これほどまでに永遠を感じさせない永遠って言葉はないと言えるぐらい空虚なんですよね。恐らくカップルが電車に乗ってて、どっちかが帰宅するために池袋駅で降りるというような話なんでしょうけど、まあ明らかに何かネジが足りないフレーズなんですよ。じゃあ、だからこれが駄目かというと、凄く良いとしか言いようがない。正しくないけど正解。むしろ「山手線はぐるぐる回るので池袋を過ぎたって永遠なのでーす」というとんちを利かされた方が点数は低くなりますね。それに対して面影ラッキーホールの「好きな男の名前 腕にコンパスの針でかいた」とかは明らかに間違いじゃないですか。正しくないし不正解じゃないですか。ただ、「じゃあ、おまえはこれに×をつけることができるのか」というと躊躇ってしまうのです。基本的な部分ではどっちも同じように「正しくない」のだから。違いは残機があるかないかであって。
あとはBerryzの世界では勝利条件がわりと明確なのに対して、面影ラッキーホールの世界ではプレイ時間が長引きすぎたせいか勝利条件が曖昧になり始めてるという点も違うかもしれません。いや、違う所を探していったら「全部違うだろ」ってツッコミが入ってしまうのだろうけど、俺にとっては両者とも夏によくあう寂しさを提供してくれる歌い手なのです。

ドラクエが提示する節度ある服装とは

ドラクエ9では装備品がグラフィックに反映されるため、機能性だけでなく見た目にこだわれる点も楽しみの一つなのだが、プレイヤーキャラ作成時にうっかりモヒカンの男を選んでしまった俺は、今ひとつ着せ替え人形的な楽しみを味わう事ができずに悲しい思いをしていた。だが、ある時、珍妙な服装でパラディンの特技である『仁王立ち』を発動すると愉快な気持ちになれることに気付いてからは男キャラを選んで良かったと心から思えるようになった。モヒカン頭でブーメランパンツの男が、仲間をかばうべく画面外から超高速でカットインしてくる姿は実に良い。この時、キャラクターが薄着であれば薄着であるほど愉快度が上がる気がしたのだが、残念ながら男用の装備で露出度の高い物はあまりないようで、俺は再び悲しい気持ちになった。
しかし、異性の装備品を着用できるようになるレアアイテムが存在すると聞いた俺は活力を取り戻した。もちろん狙いは『危ない水着』だ。女物の水着を着たモヒカン男が扇をヒラヒラさせながら画面内に滑り込んでくる場面を想像するだけで、失われた気力が少しずつ戻ってくる。そして苦労の末にそのアイテムを入手、さっそく装備画面を開いたのだが……確かに女性用の装備が着用可能になっているにも関わらず、『危ない水着』と『危ないビスチェ』だけは装備できないのだ。なんだよ、そのモラル!水着を…女物の水着を着ることだけを楽しみに頑張ってきたのに……!
他の装備品をチェックすると、ドレスの類やスカート類は問題なく装備できる。そもそも今回の『危ない水着』は下がパレオを巻いたようなデザインになっており、まったく危なくない。露出面積的にはあまり変わりのない『踊り子の服』は問題なく装備できるのに。『危ないビスチェ』だって露出面積的には『魔女の服』などと比べても全然ソフトじゃないか。いやいや…そもそも男なんだから上半身の露出面積は関係ないし、下半身にしても元々『ブーメランパンツ』が装備可能なんだから問題は面積にあるのではないと思われる。スクエニ的倫理観では女物の服を着るのはOKだが、水着と下着を着るのは問題があるということなのだろうか。まあ、子供も遊ぶものだし涙を飲んで受け入れるよ……と思ったら『網タイツ』は装備できるじゃないか!ぼかしてあるけどデザインと説明文からして完全に黒い下着の『ブラックガード』も装備できるし……なんなんだよ、この中途半端なモラルは!あんまりだよ。ちょっと想像力を働かせれば、世の中に女物の水着を着る事だけを楽しみに生きてる人間がいることくらいわかりそうなもんじゃないか。着させてくれよ!女物の水着を着させてくれよ!
まあ、少し冷静になって何故『危ない水着』と『危ないビスチェ』が装備できないのかと考えると、両者の名前に共通する『危ない』という部分がポイントになるのだろうな。この場合の危ないという言葉はセクシャルな意味合いを孕んでいるわけで、それを男性が着用するのは倒錯的すぎるだろうという判断なのではないだろうか。でもなあ、名前だけじゃん。デザイン的にはもっと際どいものが存在するのになあ。なんとも滑稽な話じゃないか。自ら名付けた名前に縛られて、重要な中身について一切検討しようとしてないんだもの。「これは『危ない』ので禁止です」だって。なんともお役所仕事的ではないか。
ファミ通クロスレビューで全員が満点をつけたことで軽く物議を醸したドラクエ9だが、もし俺に採点させるとしたら、すれちがい通信部分だけで10点分の価値があると判断するので最低でも11点を獲得してしまう事になるはずだった。ところが上記の件は俺を酷く失望させた。15点ぐらいマイナスしなきゃならん。それで結果的に何点になるかというのは足したり引いたりと計算式が複雑すぎてわからないんだが、まあ、どうでもいい。

お水ごくごくマン

炎天下の往来をノロノロと歩いていたら見知らぬ幼児がやって来て、俺に話しかけた。見知らぬ子にいきなり話しかけられること自体珍しいことなのだが、その語りだしが「お水ごくごくマン……」だったから俺も面食らった。どのような反応をするかは続くフレーズを吟味してからにしようと判断したのは自分としても冷静だったと思うが、そんな俺を襲ったのは完全なる沈黙だった。仕方なく「お水ごくごくマンがどうしたんだい?」と問い返したが、幼児は無言で俺を見つめるばかり。
他者に対して「お水ごくごくマン」と言うだけで会話が成立するケースがあるとすれば、それは相手、すなわち俺がお水ごくごくマンだった場合ぐらいだと思うのだが、その時の俺にお水ごくごくマン的な要素は全く無かった。ミネラルウォーターの入ったペットボトルを握っていただとか、肩掛けの水筒をぶら提げていただとか、水分補給なら任せておけ的な様子は微塵もなく、それどころか全身に汗をつたわせた姿は、どちらかといえば水分を失っている側の人間であるように見えたはずだ。俺は悩んだ末に「それは僕のことかい?」と問いかけた。幼児がピクリと動いたので何らかの返事が期待できるものだと思ったのも束の間、それは俺に背を向けて全力で走り去るための予備動作にすぎなかった。みるみる小さくなっていく幼児。立ち尽くすお水ごくごくマン(なのか?俺が?わからない)。
そして帰宅した俺はインターネットで『お水ごくごくマン』『おみずゴクゴクマン』などと微妙に言葉を変えながら検索を繰り返しているのであった。もちろん、何の手がかりも見つからない。例のパンを胴体に乗っけたヒーローの仲間だったりするのかもしれんと思ったのだが、奴の交友関係にそんな名の男はいないようだ。よくよく考えれば聞き間違いだった可能性もあるのだが、幼児にしては妙にハッキリした発声が印象深かったので、間違いだとは思えない……いや、どうだろう。もう今となっては事実がどうなんてわからないしなあ。…とまあ、何の答えも提示されぬまま、この話は終わりだ。些細も些細、すぐにでも忘れてかまわないぐらいどうでもよい話のはずなのだが、何故かさっきからずっとモヤモヤした気持ちが晴れない。あの時、ペットボトルを持ち歩いてさえいれば幼児の本当の意図はどうであれ、「ああ。ペットボトルで水を飲んでいる俺の事をお水ごくごくマンと呼んだのだな」と納得することができたのに。あの時ペットボトルの水を持ち歩いてさえいたらなあ。

すれちがいドラクエ・奇跡編

今日も今日とてドラクエすれちがい通信を楽しんでいたら、かなりレアなケースに遭遇した。陽のさんさんと射す屋外で慌てて撮影したので見難いかもしれませんが、どうよコレ。
20090807154600
もちろん全員違う人です。これってどれぐらいの可能性で起こり得る事態なの。

あずまんが10年

新装版のあずまんが大王2年生を読んだ。10年経てば古臭くて読めなくなるような漫画だって存在するが、可愛い女子高生がぬるい感じで戯れる漫画なんて、少なくともこれから数十年ぐらいなら普通に読めてしまいそうな強度があると思われるので、安心して手に取ることができた。
そんな中で気になった話がある。それは、真っ黒に日焼けした神楽を「遊んでるってかんじに見える」と言う大阪に、ちよが「小学校の時、クラスの男子もそういう感じでした」と発言、そこに「そーゆー遊びとは違う」とツッコミが入ってオチとなるという四コマ漫画だ。俺はこれをちよと同じ考え方で読んでしまった。この四コマが雑誌に掲載されたのは2000年半ばあたりだと思うのだが、ここで言われている日焼けをして遊んでそうに見える少女とはもちろんコギャルのことである。今現在でも日焼けをした女性はいるし、その手の女性が奔放そうだという色眼鏡で見られることもあるだろうとは思うのだが、ショートカットでボーイッシュな水泳部員である神楽を見て「日焼けしてるから男遊びしてる風に見える」という発想は2009年の俺には思い浮かばなかった。これがもう10年あとに発売されていたとしたら、コマの外にコギャルという存在についての注釈が必要になっていたかもしれない。
あとハロヲタとしては、ともが「グッドモーニング娘!」などという挨拶をしたことについて、よみが「どうかと思うな」とツッコむシーンも気になった。これが2000年末だとすると掲載当時に発売されたシングルは『I WISH』あたり、ここから『恋愛レボリューション21』『ザ☆ピース』という流れであり、まさにモーニング娘が国民的アイドルだった時代なのだよね。普遍的なものを描いてるように見えて、やはり切り取られた時代の空気というのはあちこちに封じ込めらているのだなーと思った。そして、はっきり時代が写り込んでいる以上、この娘達は現在20代半ばから後半ぐらいの年齢になってるんだなーとも思った。

続々・すれちがいドラクエ

先日すれちがい通信で「アラシのニノのだいファンです。きょうはじめてコンサートにいきます」という女子小学生からのメッセージを受信して「そうか、良かったな」と思った。
お台場ガンダム周辺ですれちがい通信を試みるとガンダムの名台詞ネタやら人ごみに対する愚痴を書いたコメントが大量に取得できるだとか、ハロプロのコンサート会場ですれちがい通信をすると、ハロプロメンバーの名前のキャラクターやヲタヲタしいメッセージが手持ちのDSに流れ込んでくるだとか、すれちがい通信も局地戦では特殊な戦果が期待できるらしい。面白いもんだ。

リズム天国ディストピア説

よくSFの題材にもなってるディストピアもの(徹底的に管理された社会を描いた作品)なんだけど、リズム天国をそういう目で見ると背筋が冷たくなる感じがして実に良いな。みんな楽しそうにリズムにノッてはいるんだけど、逆にそれは決められたタイミングを少しでも外すことは許されないということであり、失敗すれば『謎のリズム組織』という、恐らく秘密警察みたいな存在に「やりなおし」と言われてしまう。やりなおし→リプレイの間にどんな制裁が下されてるかわかったものじゃない。単純作業的な操作感や、一般的には使われないうえに具体的にそれがなんであるか良く分からない『ノリ感』という数値で人間の価値が判断されるあたりも管理社会っぽさに拍車をかけている。
ハッピー感まるだしで同じ作業を繰り返し続けてるあたりがヤバイのかなー。だいたい自分から天国を名乗ってるあたりからしてろくなもんじゃない気がするしなー。娯楽であるはずのアイドルコンサートでも完全な統制が求められ、人と違う動きをすれば周囲の客が一斉にステージそっちのけで自分の方を睨んでくるあたり、市民達の洗脳度はかなりのレベルに達しているらしい。
「市民、リズムにノることは市民の幸福です。そして幸福は義務です。これを幸福に思わないということは、反逆者である明白な証拠です。さて、市民。あなたはリズムにノりますか?」というコンピューターの声が聞こえてきそうじゃぜ。まあ、喜ばしい事にリズム天国の世界にランダム性はなく、決められたタイミングでボタンを押し続けさえすれば自動的に幸福になれるシステムになっている。確実な幸福が約束された世界、それがリズム天国なのだ。ああ、神よ、私はとても幸福です……!